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ミニ四駆の第3次ブームが起きていて、今度の主役はかつて小学生だった大人だという。

90年代には高校生以上は大会から締め出され引退を余儀なくされたが、今や大人たちが競い合って日本チャンピオンを目指している。
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第3次ミニ四駆ブーム

90年代に大ブームだったミニ四駆が再び復活してきている。

タミヤ模型の大ヒット玩具”ミニ四駆”は世界で1億7000万個も購入され、80年代終わりから90年代の男の子はみんな夢中で遊びました。

当時の小学生は現在は30代から40代になっていて、再び子供の頃にやっていたミニ四駆をやっている。


最新のミニ四駆は80年代や90年代の物に比べて格段に壊れにくく、組み立てやパーツ交換が容易になっている。

1台およそ1万円も掛けると勝てるマシンに仕上がるという事なので考えてみれば他の趣味より格段に安い。

もっともこの手のものを大人が始めると、1台で済みそうもありませんが。接着や複雑な組み立ては不要で、誰でも組み立てられるようになっている。


ミニ四駆ブームは21世紀になった頃には終わっていたので、本質的に新製品という物はなかったが90年代のマシンの衣装替えのような形でひっそりと存在していました。

昔小学生だった大人はヤフオクなどで全盛期の旧ミニ四駆を高額で購入して楽しんでいた。

そこでタミヤはリメイク版として2005年に「メモリアルボックス」を大人向けに発売し好評を得ました。


同時に完全な新型シャシーの「ミニ四駆PRO」を発売して新展開を開始しました。

公式レースも再開し、大人が参加できるエキスパートクラスを設けた。

過去2回のブームはいずれも小学生が大人になって卒業してしまったために終了しましたが、大人に卒業はないので長く続けて貰えます。


レースも全国レベルで体系化して、単なるイベントではなく、全日本シリーズやグランプリで日本チャンピオンを目指すものになった。

現実のレースと同じように、大人が日本一を目指せるようになりました。今度こそ一過性のブームで終わらせないように布石を打っている。

今年に入ると第3次ミニ四駆ブームと言われるようになり、模型店やオモチャ店で売り上げが数倍に伸びました。

大人は子供より購入単価が高いのもメーカーにとっては魅力でしょう。



ミニ四駆、最初のブーム

ミニ四駆はプラモデルとは違い模型の美しさや組み立てる楽しさよりも走らせて競い合い、ぶつけるのを目的にしている。

これは壊れやすいプラモデルでは絶対に禁止されている事です。

モーターつきのプラモデルを何日も掛けて組み立てて、走らせたら数秒で壊した子供は、世界中で数百万人居たのではないでしょうか。


ぶつけても良い模型のミニ四駆は爆発的なヒットになりました。
競い合う要素では、パーツ交換で容易に仕様変更や性能向上できる点も本格的でした。

1982年に発売された最初のミニ四駆はジープのようなオフロード車でレースをするようになっておらず、走らせてはぶつかって楽しむものでした。

高速型のレーサーミニ四駆が発売されると、バケツの中でグルグル周回させるようになり、のちにミニ四駆用のコースへと発展した。


遊んでいると壊れる為、補修用に全パーツが販売されていたが、これがやがてチューンナップ・パーツに進化してレースが可能になった。

コースアウトしにくいように子供達がしていた改造を取り入れて、車体の4隅にボタンやガイドバーを取り付けるパーツも販売された。

子供達のアイディアが次々に新パーツとして発売されるのも、子供達に「自分達が作った」という強い気持ちを起こさせた。


ミニ四駆はマンガやアニメになり、全国選手権がテレビ放送されるまでになり大ブームになりました。

ところが1991年のバブル崩壊で突然ブームが去りました。最初の小学生が高校生になり卒業したからとも言われています。

模型からテレビゲームに子供の関心が移ったのも痛手で、子供は任天堂などのゲームを親にねだるようになりました。



第2次ブーム

最初のブームの終わりごろにはミニ四駆の大会は楽しいものでは無くなっていた。

改造の自由度が大きすぎた為、タミヤ以外の会社が高性能な改造パーツを販売し、例えば2倍以上の速度で走る改造車が出場したりした。

こうなってはもう競争にならず、小学生が楽しくやれるものでもない。

旧ミニ四駆と同じシャシーとパーツのまま、ボディを市販車のようにタイヤ幅一杯に拡大したフルカウルミニ四駆が発売されると、再び小学生を中心にブームが起きた。


最初のミニ四駆はF1のようにタイヤがむき出しだったので、「色が違うだけでどれも同じ」だったが格段にデザインが進化した。

さらに模型としての再現性を重視しながらレースも可能なリアルシリーズなどで大人も興味を持てるようにした。

地方の模型店などが巨大なミニ四駆コースを常設して毎週大会を開くようになった。

改造マシンの問題は「無制限」と「純正」にクラス分けする事で解決した。


しかし1997年頃に、ブームはまた突然終わり2000年には公式大会が一度も開かれなくなった。

理由はやはりテレビゲームに客を奪われたこと、小学生が高校生になり卒業したなどだった。

これがミニ四駆の起源のクイックレーサー
2Ftamiya
http://www.mmjp.or.jp/60srace/2Ftamiya.jpg



ミニ四駆の前史”クイックレーサー”

田宮模型のミニ四駆の前身は1960年代に発売された”クイックレーサー”という自走式の1/32プラモデルでした。

車種はNO.1「ポルシェカレラ10(生沢徹仕様)」NO.2「チャパラル2F」、NO.3「ニッサンR381」、NO.4「ローラT70MKIII」、NO.5「フォードF3L(P68)」というマニアックさで1964年の第2回日本グランプリに始まるレースブームを意識した展開でした。

このレースは現在のF1以上に注目され、国産有力メーカー10社がワークス参加したが、直前になってポルシェのレーシングカー904を購入したトヨタが他メーカーを潰すため参戦を表明した。


正式にはトヨタが購入した車ではないが、トヨタワークスが優勝する展開ならポルシェは故障リタイヤ、他社の車が優勝しそうならポルシェが優勝するという筋書きが可能となる。

国産車にはレーシングカーどころかスポーツカーも存在しないのでポルシェの独走と思われたが予選中にクラッシュして故障したまま出走したとされている。

修理後にテストもせず出走したポルシェは序盤の数周は流して走行し、途中1週だけ生沢徹のプリンス・スカイラインが先頭になった。


その後ポルシェは抜き返し大差で優勝したが、観客はスカイラインを応援した。

これがスカイラインの伝説の始まりで、ポルシェが故障していて速度を落としただけだったのだが、それすら大事件になった時代だった。

その後ポルシェとスカイラインはレーシングカーとなって再び対決したのがニッサンR381、ポルシェカレラ10でした。


そうした時代の勢いに乗って、レースのように走るプラモデルを販売したが、走らせることより模型としての再現性を重視していた。

また大きな電池4本を積んで道路で走らせると、すぐにぶつかって壊れてしましました。

クイックレーサーはヒット作にはならず消えていきました。


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