島民を運んだ「フェリー太陽」、別の日の撮影
フェリー太陽
引用:http://www.wakanatsu.com/kyo-kago/2010_0407_130141AA.JPG


5月29日午前10時、口永良部島の新岳が突然噴火し全島避難指示が出されました。

巡視船や自衛隊などのヘリが島に急行し、民間フェリーへの乗船を助けた。


全島避難指示にヘリや船舶が急行

全島民に避難指示が出されたのを受け、島民らを乗せた町営船「フェリー太陽」が29日午後3時40分過ぎ、口永良部島の本村港を出港し、屋久島の宮之浦港へ向かった。

島民らは約1時間40分後に屋久島に到着し、公民館など5か所の避難所に身を寄せる。

「バーンと大きな爆発音がして、外に出たら黒い煙がもくもくと上がっていた。真っ黒い煙がこちらに向かってくるようで、もう終わりかなと思った。噴石が飛んでいるのも見えた」と島民はその時の様子を語った。
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戸締まりなどをした後、住民らは島の北西部にある番屋ケ峰頂上に向かった。

頂上には、NTTが使っていたコンクリートの建物があり、番屋ケ峰避難所としている。

番屋ケ峰避難所に島民が次々集まり、午前11時半ごろには約100人が身を寄せたという。


避難所にテレビがないため、「避難指示」などの情報を島外からの電話で知らされている

午前11時50分ごろには、海上保安庁のヘリから機動救難士2人が降りた。

29日昼過ぎに北熊本駐屯地(熊本県)の自衛隊員は自衛隊ヘリで口永良部(くちのえらぶ)島に到着した。


避難所から民間フェリーに乗船し、隣の屋久島に到着するまで隊員が手伝った。

昼過ぎには屋久島町屋久島町の防災へリも口永良部島に飛び、地元の消防団とともに住民の確認を始めた。

口永良部島には警察官や消防士、救急隊員などが居ないため、消防団が大きな役割りを担っている。


1時間ほどの間に島民全員の生存が確認され、137人のうち121人が番屋ケ峰などの避難所に居るのが分かった。

午後3時ごろにはフェリーが到着する港に住民が集まるように、避難所に指示が出されました。



島からの脱出と避難生活

口永良部島の新岳が噴火したのは29日午前10時頃で、海上保安庁と第10管区海上保安本部(鹿児島市)は10時すぎに対策本部を設置した。

航空自衛隊の偵察型F4戦闘機とP3C哨戒機が噴火直後に上空から偵察し、火山の様子などを撮影した。

鹿児島海上保安部所属の巡視船「さつま」を口永良部島周辺に派遣して警戒に当たらせました。


「さつま」は大型へリを搭載しているため、港にフェリーが接岸できない場合にも、空輸によって住民全員を収容する事が可能だった。

巡視船「さつま」(1200トン)の他にも測量船など計19隻を島周辺海域に派遣して周辺を通行する船舶に注意を呼びかけていた。

ヘリコプターから島に機動救難士2人を降下させて、住民の所在や人数などを確認しました。


海上保安庁の測量船では50人分のお握りを作って避難所に届けて、住民に配布する一幕もありました。

また飼っている犬などのペットを世話するため、島に残留を希望する人が居たが、職員らが説得して犬と一緒に巡視船に乗船させました。

屋久島町営の「フェリー太陽」は定員100名だが、一度に住民全員を運ぶため、この日だけ150人の定員としました。


フェリーは29日午後2時40分ごろに口永良部島の本村港に到着し、3時ごろに山頂の避難所から降りてきた住民らを収容した。

自動車を所有している人は車や荷物を船に積み込んだが、多くの人は身の回りの貴重品だけを持って乗船しました。

今回は137人の住人のうち125人が乗船し、午後3時40分ごろに出港して、午後4時ごろには15キロ離れた屋久島に到着しました。


残った人は巡視船やヘリで運ばれたり、自分の漁船で屋久島に渡ったりしました。

屋久島には公民館など3ヶ所の避難所が設置され、84人の島民を収容した。

他の50人ほどは鹿児島などの知人を頼って本土に渡ったと見られます。


火山による全島避難では2000年の三宅島噴火で、住民の避難が長期化して大問題になりました。

三宅島の人口約3800人が5年間本土に避難し、2005年に解除されて現在は3000人が島に住んでいる。

実は三宅島避難まで、日本には自然災害に国がお金を援助する制度がありませんでした。


援助しているように振舞っていたのは、実は借金をさせて後で徴収していたのです。
国は「努力しない人を国が助けたら、国民が怠け者になる」などと主張していました。

1995年の阪神大震災でも、日本政府は被災者に1円たりとも支払いませんでしたが、森首相の指示で三宅島避難者への直接援助が実行されました。

この後新潟の地震や東北地震など、国による生活支援が定着しました。

口永良部島も火山活動が沈静化するまで数ヶ月か数年は避難生活が続くと見られ、長期化する避難生活の支援が問題になるでしょう。


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