アメリカ側で交渉に当たったのは、後のCIA長官アレン・ダレス(右)
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引用:http://america.aljazeera.com/content/dam/ajam/images/articles/jfk_dulles_112213.jpg


アメリカは戦後75年経った今も「原爆を使用したから日本が降伏した」と説明しています。

しかし日本は終戦の1ヶ月も前からアメリカに降伏の意思を伝えていました。


玉音放送の理由

アメリカは最初の原爆を投下する一ヶ月も前に、日本の代表から降伏の意思を伝えられ知っていました。

1945年8月15日に日本は降伏したのですが、詳しく見るとこの日に戦争が終わった訳ではありません。

8月15日に天皇が終戦の詔勅を発し、軍に停戦命令を出したが、本来は将軍や総理大臣などに手順を踏んで伝えるものでした。

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中間の手順をすべて飛ばして末端の兵にまで自分で停戦を伝えたのは、それだけ急を要したからでした。

日本側は中立国での交渉を通じて、8月13日には2日後に停戦する事を米国に伝えたが、米軍は戦闘を続けました。

8月15日の午前中も、多数のB29が日本に飛来し各地を爆撃していましたし、放送後も一部で爆撃を続けました。


米軍は停戦する気などさらさら無く、日本が再三降伏の意思を伝えても、全て無視していました。

だから天皇がラジオで全世界に放送したのであり、さすがに世界中にラジオ放送したものを、米国は無視できませんでした。

8月15日を過ぎても戦争が終わった訳ではなく、北方では押し寄せるソ連軍に占領されまいと、日本軍は激戦を展開しました。


8月9日に米ソ密約によってソ連が参戦し、スターリンは日本の半分つまり名古屋以北をすべて分捕るつもりでした。

北海道、東北、東日本、朝鮮などをソ連に占領させないため、日本軍とソ連軍の頭脳戦が展開された。

結局ソ連が手にしたのは千島列島と北朝鮮だけで、日本軍は国土の大半を守り抜きました。


アメリカ政府は「第二次大戦を終わらせるため、原爆投下が必要だった」と主張している。

各地の空襲についても同じ説明をしているが、現実には降伏の数ヶ月も前から、日本から降伏の申し入れを受けていました。

アメリカ大統領の言い分は全てが嘘であり、創作したフィクションに過ぎません。



スイスの終戦交渉

1945年4月、沖縄戦の結果を受けて戦局が絶望的となり、終戦工作に着手する事になった。

大本営の中心メンバーだけで極秘の会合が重ねられ、ソ連に和平交渉の仲介を依頼する事になった。

だがこの時ソ連は既に参戦を決意しており、ソ連ルートは無為に終わりました。


もう一つはスイスやバチカンなど欧州の中立国で、米国と直接交渉をする案が模索された。

米国が和平に応じる可能性は低いと見られたが、この線での交渉も進められました。

交渉は最初から「降伏したい日本」と「戦争を続けたい米国」という構図でした。


1945年7月、米国代表のダレスは意外にも最初の交渉で、日本の条件を受け入れると示唆しました。

日本側が出した条件とは「明治憲法の遵守」「天皇制維持」の2点で、特に重視したのが天皇制でした。

軍としては例え日本国が滅んでも天皇を中心に復活できると計算し、事実その通りになりました。


交渉は原爆投下の直前まで続けられたが、米軍はこれを無視するかのように大空襲と原爆投下を続けた。

終戦交渉は両国の代表による正式な合意を見ないまま、外務省と海軍が天皇を説得し、終戦の詔勅を発した。

アメリカ大統領もアメリカ軍も、7月始めには日本の降伏を知っていたのです。


ルーズベルトが1945年4月12日に急死しトルーマンが大統領に昇進した後で、新大統領は軍の言いなりでした。

トルーマンが副大統領になったのも3月4日であり、ホワイトハウス入りして間もなく自動昇進した大統領に指導力はなかった。

軍はもっと日本と戦争をして「救国の英雄」になりたい人が多く(マッカーサーなど)、玉音放送に驚き落胆した。


米軍は日本を廃墟にしたのちに上陸して地上戦を行い、米軍の力で「悪の枢軸」を倒したという実績が欲しかったのです。

もし日本との外交交渉で戦争が終わったらそれは国務省(外務省)の手柄であり、米軍の地位が低下すると考えました。

こうしたくだらない理由で米軍は都市への空襲という戦争犯罪を犯し、今もウソをついています。


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