極度の写真嫌いで公開用はこれだけしかない
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引用:http://pic.prepics-cdn.com/satoshiarashi/8856765.jpeg



ジャニーズ事務所の後継者争い


かつて帝国と呼ばれたジャニーズ事務所は、2019年〈令和元年〉7月9日にジャニー喜多川が亡くなってから影響力が低下している。

ジャニー喜多川は戦前生まれで、第二次大戦を挟んで日米の2重国籍を獲得し、一時はCIAの情報員もしていたとされています。

ジャニー喜多川は既に80代だったので姉が実質的に事務所を支配し、姉の娘が後を引き継ぐと見られていた。

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事務所は姉のメリー喜多川やメリーの娘の藤島ジュリー景子が強い力を持ち、実質的に経営していました。

もう1人の後継者候補はSMAPのマネージャーだった飯島三智が有力候補でした。

飯島三智はジャニーズ事務所初期のグループ「フォーリーブス」の熱狂的なファンで、事務所スタッフとして働き始めました。


頭角を現したのが光GENJI、男闘呼組などが人気低下し事務所が危機に陥った時で、SMAPを大成功させた。

これを皮切りにABC-Z、Sexy Zone、Kis-My-Ft2(キスマイ)、山下智久を手がけて自分の派閥を形成した。

飯島三智は事務所の稼ぎ頭のSMAPを握ったことで、次期経営者候補に躍り出たが追い出されるように退社しました。


メリーの娘の藤島ジュリー景子はジャニーズ本隊を握っていたが、SMAP全盛期には圧倒されていました。

肝心のジャニー喜多川は派閥争いに関心がなく、kinki Kids、V6、タッキー&翼がジャニー派で中立と言われていました。

メリー喜多川母娘は事務所を掌握できなかったようで、スマップなど離脱者が相次いで混乱した。


ジャニー喜多川が生前に指名した滝沢秀明が取締役副社長に就いているが、オーナーではないので権限は限られている。



ジャニー喜多川の数奇な半生

ジャニー喜多川は波乱に飛んだ人生を送っていて、まず国籍が不明とされています。

父は僧侶だがプロ野球のマネージャーもやっていて、野球の縁なのかアメリカに渡り、1931年にロサンゼルスでジャニーが生まれた。

日華事変が始まると日本に帰国したが、戦後の1947年に兄弟3人でアメリカに帰国しました。


法律上アメリカで生まれた人にはアメリカ国籍が与えられるので、兄弟はアメリカ国籍だが、日本国籍も持っているとされている。

つまり2重国籍だったようなのだが、現在の国籍がどうなっているのかは、娘の藤島ジュリー景子を含めて判然としません。

ロサンゼルスでは音楽関係のバイトをしながら高校を卒業し、美空ひばりのLAコンサートでもバイトで手伝ったとされています。


美空ひばりやその関係者と知己を得た事で日本の芸能界にコネクションが出来、後に芸能界入りするきっかけになりました。

1952年には日本でCIA情報員として働き、早い話アメリカ軍のスパイのような事をしていたようです。

朝鮮戦争では朝鮮半島で英語と朝鮮語の通訳もしていて、語学は非常に堪能なようです。


その後はアメリカ大使館に勤務したあと上智大学を卒業し、1955年にバンドを結成し芸能界デビューしました。

美空ひばりの力なのか、CIAやアメリカ軍の力なのか、当時の芸能界ですぐに受け入れられました。

1952年はGHQの占領が名目上終わった年だったが、1960年に現在の日米安保条約が締結されるまで、実質的に続いていました。


1962年に初代ジャニーズを結成しジャニーズ事務所がスタートし、1975年に正式に株式会社になりました。

ジャニー喜多川は殆どマスコミに登場せず、写真を取られるのも極度に嫌う為、サングラスの同じ写真しか出回っていませんでした。

ジャニーズ事務所の主要役員は、ジャニー喜多川、メリーとその娘、深い関係の音楽プロデューサーで占められていました。


ここからジャニー喜多川が抜けたので後継者は事実上、メリー喜多川と娘の藤島ジュリー景子になった。

なおジャニー喜多川は結婚していないので、妻や後継者になる子供は居ませんでした。


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