毛沢東の製鉄所、農業を放棄させてこんな事をさせた。
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引用:http://im7.kommersant.ru/Issues.photo/CORP/2014/02/12/KMO_111307_05366_1_t210_143112.jpg


中国では1950年から70年代まで、国内政策の失敗で数千万人あるいは1億人以上が犠牲になりました。

だが中国ではこの歴史は隠されていて、本の著者や出版社を拘束し、国民の目に触れないようにしている。


毛沢東の大飢饉を隠す中国政府

中国では1960年前後に政策の失敗で5千万人の犠牲を出す大飢饉が起きていました。

だが中国の教科書や歴史の本、メディアではこの事実はタブーなので、中国人だけが知らされていません。

元新華社通信の記者で75歳の楊継縄という人が『墓碑―中国六十年代大飢荒紀実』という本を執筆しました。

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出版したのは香港の天地図書で、日本でも文芸春秋社から「毛沢東 大躍進秘録」として出版されています。

最初に出版された日時は不明だが日本版が2012年なので、結構前だった事になります。

著者の楊継縄をハーバード大学が表彰式に招待したところ、政府は本を発禁処分にし自宅軟禁にしました。


この手の中国批判本は中国本土では正式に発売されないが、香港は英国との条約で自治権があるので、建前上は自由です。

そこで中国人は香港でこうした本を買ったり、本土に密輸入して地下市場で販売したりしていました。

こうした反中国の出版社のひとつが「巨流(Mighty Current)」で、15年10月から関係者5人が次々に失踪しました。


その後5人全員が中国公安に拘束され、中国本土に連れ去られたらしいのが判明し、うち3人が突然香港に戻った。

3人は口々に「拉致されてはいない」「完全に自由だった」「自主的に捜査協力した」と話している。

これは裏返すと「拉致された事を話せば生命が危ない」と言っているのと同じでしょう。

中国政府がこれほどまでして隠したい「毛沢東の大飢饉」とはどんなものだったのでしょうか。



超大国・中国を目指して

今日の中国がこうなった原因は、たいてい日本が関わっているが、この事件も日中戦争に遡ることができる。

日清日露戦争によって満州国を支配下に置いた日本は、1937年に中華民国から攻撃を受け日中戦争に突入しました。

日本軍は中華民国を散々に打ち破り、力の衰えた中華民国は終戦後も共産軍に打ち破られて、台湾島に逃げ込みました。


代わって大陸を支配したのが現在の中華人民共和国で、共産党軍の指導者毛沢東が独裁者となりました。

1949年に中華人民共和国が建国され、毛沢東が最高指導者として国づくりを行いました。

毛沢東の思想とは、突き詰めると「拡大する」だけであり、全人類を共産主義によって支配下に置く事を目指した。


手始めが「周辺国」を侵略する事で、ウイグル、モンゴル、チベット、西方の多民族国家を次々に併合しました。

こうして本来の「中国」の10倍ほどの面積に拡大し、ソ連や米国に並ぶ超大国になると宣言した。

1957年に同盟国のソ連が、15年以内にアメリカを追い越すと宣言し、それは可能なように思えました。


なにしろ第二次大戦前にはまったくの「無」だったソ連が、10年後にはアメリカに次ぐ大国になっていたからです。

共産主義は人々の行動を強制できるので、資本主義より短期間に成長する事が可能です。

毛沢東もソ連を模倣し、短期間で米ソに並ぶ大国を作れると考えました。



毛沢東の大失敗

中国は1958年の第二次五ヵ年計画で「3年以内に米国を追い抜き超大国になる」というとんでもない計画を建てました。

最近の中国は「10年以内に米国を追い抜く」と言っていますが、もう60年以上も言っているのでした。

1958年の中国はまだ、トイレにドアが無いどころか、トイレが無くて人民は外で用をしている有り様ででした。


農民から土地を没収して集団移住させ、ソ連式の集団農場や集団工業を始めました。

ただしソ連は大戦中に米国から援助を受けて工場を建てたが、中国はゼロから始めました。

建物も何もない地面を溶鉱炉に見立てて、燃料を燃やし日本軍が残した鉄くずを溶かしたりしていた。


製鉄・製鋼事業は実際には、日本の弥生時代の青銅器製造みたいな事であり、成果が上がるはずが無かった。

農業も生産高を上げるため、荒野に人々を移住させ、全くの無の状態から開墾させました。

農業はその土地を熟知している専門職でなければならないが、毛沢東は理解しませんでした。


結果工業生産はもちろん、農業生産も大きく落ち込んで、たった3年で5000万人がなくなったと言われています。

因みに毛沢東は日本で共産革命を起こそうとして、日本の学生達に「中国はユートピア」だと教え込みました。

その頃中国の日本工作の影響を受けた連中が、70年代前後に学生運動で大暴れし、現在もマスコミ、言論人として活躍しています。

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