中国経済の落ち込みで必要がなくなると、アフリカ人を厄介者として追い出し始めた。
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アフリカに進出した中国

中国にアフリカからの移住者が住み始めたのは、2000年の中国アフリカ協力フォーラムがきっかけとされている。

当時アフリカの特に資源権益は欧米が独占していたが、中国は安全保障や政治を一体にする事で関係強化した。

つまり欧米から非難される独裁国家や人権侵害国でも、中国は気にしないしジャンジャン武器も売りますよという事だった。

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しかも中国は戦車や携帯ミサイルの代金として、石油や鉄鉱石の現物、さらにその採掘権でも受け付けた。

実質的にアフリカ側は代金を支払う必要すらなく、中国製の兵器を購入する事ができた。

こうしてアフリカに進出した中国は資源を買い漁り、同時に中国に輸出したり、現地で商売を始めた。


中国はアフリカの国にダムや道路や港湾、鉄道、発電所などを作り、やはり資源払いなどで代金を受け取った。

あるいは完成した鉄道などの経営権を中国が取得したり、その地域の開発権を代金代わりに受け取るケースもある。

お金のないアフリカ諸国にとっては大変に魅力的でリーズナブルだったので、アフリカで中国の人気は上昇した。


中国はアフリカでインフラ工事をするときに、多くの中国人を現地に動員して建設した。

中国人労働者にサービスを提供するために中華料理店や雑貨店、床屋に洋服屋まで進出し、各地にチャイナタウンを作った。

歓迎されたのはここまでで、世界各地のチャイナタウンと同じく現地の人と軋轢を起こして排斥されています。



中国に進出したアフリカ人たち

経済交流が増えるとアフリカから中国に渡る人が増えたが、彼らは単純労働者ではなく、貿易商やビジネスマンだった。

中国の広州には「アフリカタウン」が出現し、10万人から20万人が居住するようになった。

彼らは広州を拠点に中国から商品を仕入れて、アフリカの母国に輸出して儲けていた。


アフリカの平均年収は500ドル(5万円)以下だが、広州貿易では5000ドルや50万ドル稼いだ者も出現した。

日本では売れない「偽ブランド品」もアフリカでは飛ぶように売れて、粗悪品でさえ大儲けできた。

ナイジェリア、セネガル、コンゴなどアフリカ全土から中国に商人たちが集まっていた。


20年前のアフリカ人は本物を見た事が無かったので、粗悪なブランド品の偽物でも見分けが付かず購入していた。

だが今ではアフリカの人もiPhoneを持ちナイキを履いているので、中国人が売っているのが粗悪品だったと気づいた。

中国のコスト増から中国産輸出品の価格は高くなり、ベトナムやバングラディシュのほうが安くなった。


儲からなくなると中国政府は態度を変え、20万人の不法滞在者の取り締まりに乗り出し、アフリカ人を追い出し始めた。

10年前は歓迎していた市民も、現在はアフリカ人を「厄介者」として扱い排斥するようになった。

奇妙な事に同じ時期に、アフリカでは中国人を、中国ではアフリカ人への嫌悪感が高まり、追い出しに掛かっている。



互いに嫌いあうアフリカ人と中国人

中国に住むアフリカ人のうち正式な滞在資格を所得した人はほとんど居らず(そもそもできないが)全員が不法滞在だった。

リトルアフリカではアフリカ人がらみの犯罪が増えたのは事実で、外国人犯罪の増加が社会問題になった。

日本では中国人はガラの悪い外人と思われているが、その中国人が「治安が悪い」と言うのは相当悪いのでしょう。


2008年ごろの中国では不法入国のアフリカビジネスマン達を大歓迎し、外国人歓迎の行事などをしていた。

その後中国人商人がもっと安い価格でアフリカで商売するようになり、用済みになったアフリカ商人たちは行き場を失い浮浪者のようになった。

結局中国とアフリカの関係は、金の切れ目が縁の切れ目になった。


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