本田宗一郎が趣味で始めた航空機開発には30年もかかっていた
Honda-Jet 005
引用:http://www.goldwingworld.com/Honda-Jet/slides/Honda-Jet%20005.jpg


ホンダジェットの開発は順調と程遠かった

経済産業省が始めた国産旅客機の三菱MRJは開発の遅れや、景気後退による受注減に見舞われていて、先行きは厳しいといわれている。

一方自動車のホンダが開発した小型ジェットは順調に顧客に納入され、量産ベースに乗ろうとしている。

2つのジェットの機は違いは大きさと開発生産国でで、MRJは日本で開発生産する70人乗り旅客機、部品を各国から輸入している。

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ホンダジェットは7人乗りビジネスジェットで、米国で生産開発を行う米国製の航空機でした。

ホンダジェットはホンダ製ではあるが日本製ではなく、エンジン以外はアメリカの技術者中心で開発されました。

MRJよりかなり早く発売されたので非常に順調だったという印象を受けるが、調べてみると同じくらい苦戦していました。


ホンダジェットの開発が始まったのは1997年で、米国で開発が本格化したのは2001年頃からで、2003年に早くも初飛行している。

だがここからFAAの認証を受け、発売し量産するまで10年以上も掛かりました。

その前の1986年からホンダは既存エンジンを搭載したホンダ1号機を開発し、1993年に2号機を開発し1995年には自社製エンジンHFX-01を開発しました。


ホンダジェットはホンダとしては3号機に当たり、ホンダ1号機から実に30年目でやっと「初売上げ」を達成しました。

最初は本田宗一郎のただの道楽で、誰も実現するとは受け取っていなかったが、本田がなくなってからも計画は推進されていた。

ホンダジェットの開発が始められてから発売までだけで、20年間という年月を費やしていて、その間航空機では1円の売上げもなかった。



むしろ順調だったMRJ

これに対してMRJはどうかというと、計画の始まりはそもそも2000年に「神の声」で総理になった森喜朗の国産航空機提唱から始まった。

森首相は不人気で1年で退陣したが、国産旅客機、国産哨戒機、国産輸送機、国産戦闘機の開発を矢継ぎ早に指示して去っていった。

その後森派所属で森氏の子分だった小泉氏と安倍氏が首相になり、福田首相も森氏の意向で首相になれたと言われている。


麻生首相誕生にもかかわりこの間の8年間、国産航空機開発は採算度外視で進められていった。

小泉首相は予算の無駄遣いに厳しかったが、親分の森元首相が始めた国産航空機開発に手をつけることは無かった。

このうち国産旅客機がMRJ、国産戦闘機がATD-X、輸送機がC-2、哨戒機がP-1としてそれぞれ初飛行を実現している。


2009年にはリーマンショックが起きて民主党政権に変わったが、計画が進みすぎていて、もはや止めることは不可能だったようで、数年ずれていたら全部中止になった可能性があった。

MRJ計画は2002年に経済産業省が提案し、2008年に正式に三菱重工で開発が始められ、少ないとはいえ政府から補助金も出た。

初飛行は2015年で7年後だったが、ホンダジェットが初飛行から発売まで12年かかったのに比べれば、初飛行後は順調とすら言える。



数十万点の社外部品が生産を困難にする

三菱は戦前に航空機を量産していて、戦後も自衛隊向け航空機をライセンス生産するなど、日本政府と関係が深い。

MRJの初号機納入は2017年から遅れても2018年なので、初飛行後2年ちょっとであり、飛んでからは非常に速い。

ホンダジェットは最初航空エンジンで世界トップのGEと協力していたが、警戒されたのか両者の関係は友好的でなくなり、独自開発を迫られた。


航空機先進国のアメリカで開発するので楽でいいように見えるが、色んなところで協力を拒否されたり嫌がらせがあったらしい。

MRJの三菱重工は大型旅客機世界トップのボーイングの翼や胴体を製造していて、両者は協力関係にあり、米国での航空試験で全面協力を受けている。

米国で飛行試験を受けることで認証までの時間が数分の1になるが、ボーイングの認証をしている企業にやってもらっている。


ホンダも三菱も航空機開発ではそれなりに苦労して、リスクを背負ってやっと実現に漕ぎ付けた。

両者とも航空機部品を製造していないので、MRJは数百万点、ホンダも数十万点の部品を世界中から買い集めて工場で組み立てている。

品質や数量が安定しないので社内部品や国産品に切り替えようとしているが、国内航空産業は貧弱なので長期間かかるでしょう。

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