オスマントルコや中国では大型の旧式銃が使用され、日本にも伝わっていた
SultanMurads_with_janissaries
引用:http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c3/Battle_of_Vienna.SultanMurads_with_janissaries.jpg/420px-Battle_of_Vienna.SultanMurads_with_janissaries.jpg


種子島は初めての鉄砲伝来ではない

日本に鉄砲が伝わったのは1543年(天文12年)、種子島に南蛮船(あるいは中国船)が漂着し、運んでいた火縄銃を買い上げたのが始まりとされている。

教科書や歴史の本には必ずこう書いてあるし、映画やドラマや小説でも、必ずこう書いてあったのだが、実は正しくない。

まるっきり間違いではないのだが、「鉄砲がこの時初めて伝わった」という表現は大きな誤解を招いている。
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正確には種子島にポルトガル人が漂着する以前から、日本には鉄砲があったし、製造する事もできたと推測されている。

正史によると1543年9月23日に明の船が台風で難破し、漂流の末に種子島に漂着しました。

明船にはフランシスコ、キリシタダモッタら3人のポルトガル商人が乗船しており、鉄砲という新兵器を持っていた。


島主の種子島時尭(16歳)は南蛮人に試し撃ちさせてその威力に驚き、2千両を支払って二挺を購入した。

時尭は鍛冶職人に命じて同じ物を作らせ、足利将軍に献上された事から、鉄砲の威力と製造方法は日本中に広まった。

1544年1月4日には早くも国産第一号の種子島銃が実戦に使用され、屋久島の戦いで禰寝氏は鉄砲の活躍によって降伏した。


もっとも初めて使用された種子島銃は不発や暴発が相次いで実用に耐えるものではなく、禰寝氏は爆発音や流れ弾に驚いただけだとも言われている。

種子島にポルトガル人が漂着してから、国産銃が実戦で使用されるまで僅か3ヶ月であり、日本人の優秀さの証明とされているが、いくら何でもおかし過ぎる。

種子島銃の製法は瞬く間に本土に広がり、1575年(天正3年)6月29日には織田信長が鉄砲3,000丁を長篠の戦いに投入して圧勝しました。


1543年に種子島時尭が購入した西洋銃、見た目はトルコ軍兵士が持っている旧式銃と大差ない
tanegasimajyuu
引用:http://www.city.nishinoomote.lg.jp/material/images/group/44/tanegasimajyuu.jpg




種子島以前のアジア銃

織田信長は1553年に美濃の斉藤道三と初めて面会したとき、弓・鉄砲隊500挺を従えて聖徳寺まで行進しています。

弓と鉄砲の内訳は分からないものの、わざわざ特筆してある所から、百挺から数百挺だったと推測されています。

1543年種子島にポルトガル人が漂着して10年も経っていないのに、日本全体では数千挺以上もの種子島銃が存在した事になります。


これほど早く鉄砲の生産量が拡大した理由は、実は種子島に伝来する遥か以前から鉄砲を製造していたと考えるほうが合理的だが、この事はあまり知られていません。

火縄銃以前からアジアには手銃と呼ばれる先込め銃が元の時代以前から存在し、1400年代にはオスマントルコ軍が大規模な銃部隊を運用している

オスマントルコが使用していた銃は長尺で、火縄銃より構造が単純で威力も小さいが、銃である事に変わりは無かった。


こうした原始的な手銃、銅銃は威力が小さい事から日本では兵器として使用されなかったが、種子島のような離島でも鍛冶職人は製造技術を持っていたと考えられる。

だからこそ鍛冶職人はそれほど時間を掛けず、とりあえず試し撃ちできる程度の火縄銃を製造できた。

種子島伝来の30年以上も前の1510年、「北条五代記」には鉄砲を入手したと記され、1526年には武田家も鉄砲を入手したと記録している。


もっと言えば1274年と1281年の蒙古襲来で蒙古軍は大小の火器を日本に持ち込んでおり、鎌倉幕府と武将たちはその威力を目にしている。

蒙古襲来から暫くの間、幕府や朝廷は再び襲撃されるのではないかと恐れおののき、蒙古や大陸の戦法・兵器を熱心に研究しました。

元や明の原始的な銃がいつ日本に伝わり、どの程度製造されたかは、武士が兵器として評価しなかったため、記録されていない。


猟師が鳥を撃つような目的で使用されていたが、威力が弱い事から武士は弓と槍の方を重視した。

だが種子島以前から日本には旧式銃が存在していたし、だからこそ短期間に新式銃の量産化が可能だったと推測されるのです。

織田信長が1553年に行進させた数百挺の銃も、種子島銃ではなくアジア式の旧式銃だったと考えれば、当時の織田家でも入手可能だったでしょう。

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