フォードが作った最初の車、技術者として冴えていたのはこの後10年くらいだった。
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デトロイトの天才少年

フォードの創業者ヘンリー・フォード1世は20世紀で最も偉大な実業家として知られている。

T型フォードで世界初の量産自動車を販売しただけでなく、大量生産や消費者も作り出した。

フォード以前には手工芸的な機械しか存在せず、またフォード以前に「消費者」は存在しなかった。

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ヘンリー・フォードは天才技術者として華々しく登場したが、最後は凡庸な経営者として世を去った。

80歳のときフォード社長に復帰したが、喜ぶものは誰もおらず、83歳で無くなった時、多くの人が実際にはほっとした。

フォード社の人達は、これでもう仕事を邪魔される事が無く、会社が倒産する事もないと考えていた。


フォード1世はミシガン州の田舎で農家の長男として生まれ、父親はやっと手に入れた農場を、息子が継ぐのを希望していた。

父のウィリアム・フォードはアイルランドで食いっぱぐれた貧困小作農で、ジャガイモが不作で破綻したアイルランドからアメリカに移住した。

持っていたのは大工道具一式だけだったが、アメリカには大工仕事が山のようにあり、数年で自分の家や自分の農場を買う事が出来た。


フォード1世は子供の頃から機械いじりが得意で、近所中の時計を分解しては組み立てて修理したりしていた。

農場の仕事を嫌って都会のデトロイトに出てきて、いくつかの機械関係の仕事を経た後に、自動車をつくる事にした。

最初の自動車会社を設立したのは36歳のとき、デトロイト自動車会社で最初の自動車を作ったが、パッとせずすぐ解散した。



ヘンリー・フォードの時代

38歳の時に再びヘンリー・フォード・カンパニーを創業したが会社を去り、40歳のときに紆余曲折を経てフォードモーターを創設している。

フォードの経営が安定するまで少なくとも2回創業に失敗し、資金難からの経営危機にも見舞われていた。

フォードは自動車メーカーが無数に現われたデトロイトでチャンピオンになったが、この頃行われるようになった自動車レースが大きな役割を果たした。


レースによって人々は見た目とか大きさではなく、始めて「性能」で自動車を比較するようになり、フォードが作った車は当時の世界記録を連発した。

フォード1世はピストンから自動車を手作りした訳ではなく、自動車製造に必要な技術が既にデトロイトには存在した。

馬車が普及していたので初期の自動車の車体は馬車そのもので、金属加工や皮細工、腕の良い大工職人なども多く居た。


蒸気機関も既に存在したので、後にガソリンエンジンで必要になるエンジン部品の加工技術もあった。

ガソリンエンジンは蒸気機関よりも小型で高回転なので、より精密な加工技術が必要だったが原理は大して違わなかった。

デトロイトはアメリカの東西を結ぶ交通の要衝で、自動車の需要があり、この土地で自動車産業が生まれる要素が揃っていた。


フォード1世が45歳の時に最初の量産自動車「T型フォード」を発売し、これが世界史を変えるほどの産業革命を起こした。

T型フォードは最初非常に高価だったが、流れ作業やベルトコンベアなど量産技術を導入し、低価格化が進んだ。

T型フォードは1908年に825ドルで発売されたが、1917年には360ドルまで値下げされた。


この間にフォード労働者の賃金は日給2ドルから6ドルに上昇し、最後には60日間分の賃金でT型フォードが買えるようになっていた。

現代では日給1万5千円の労働者なら、約60日間分の賃金で一番安い軽自動車を買えるが、そのような時代がアメリカでは100年前に到来していた。

この大量生産と豊かな消費者が生み出す経済力によって、アメリカは超大国になり、第一次・第二次大戦も物量と豊かさで圧倒する事になる。


このころ日本人の9割が農民で、牛や馬を持っていればマシな方、人力で田畑を耕して蒸気鉄道がやっと普及しようとしていました。



天才から凡夫へ

フォード1世はT型フォードの生産方法を改善する事に尽くし、溶けた鉄から製品まで最初1ヶ月掛かっていたが、最後は4日になった。

熟練工1人が最初から最後まで製造していたのを、100人が100の行程で単純作業するようにし、素人でもできるようにした。

販売台数は爆発的に増加し、1914年に47万台を販売し、T型フォードトータルでは1500万台も売れ、世界で販売される自動車の半分にも達したと言われている。


ただしフォード1世はT型フォードを自分の分身か芸術品のように扱い、いかなる改良や変更も一切認めなかった。

1912年にフォード1世が欧州旅行に出かけた隙に、フォード幹部はこっそり改良を施した。

車体を少し長くしたり、乗り心地を良くしてユーザーに答えたもので、きっとフォードが喜ぶだろうと考えていた。


改良型を見せられたフォード1世は無言のままハンマーで車をバラバラに破壊し、飽き足らずに改良した幹部と技術者をクビにした。

燃料装置を改良してパワーを上げた改良型を開発した幹部も居て、ある日フォード1世にそれを見せた。

フォード1世はエンジン出力を下げるよう命令し、その幹部も後にクビになった。


やがてフォード1世はT型フォードを自分自身と見做すようになり、どんな変更や改良も自分自身への否定と考えるようになった。

ある日黒一色だった色を追加しようと提案され、「もちろんいいとも、ただし黒に限る」と答えたとされている。

こうしてT型フォードは最初から最後のモデルまで何も改良される事なく、自動車業界の盟主の地位をGMに明け渡した。


フォード1世は社長を退いて息子のエドセルが継いだが、実質的にフォード1世が社長のままであり、81歳まで独裁者であり続けた.

晩年までフォード1世は自分が作り上げたフォード社への、あらゆる変更や改革を禁止し、盾つくものは追い出していった。

フォード1世の偏狭さのお陰でライバルのGMは世界一になり、2度とフォードが世界一の座を取り戻す事はできなかった。


そしてフォードや米自動車業界は、70年代のオイルショックや2000年代のリーマンショックでも、同じような失敗を繰り返す事になる。


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