アメリカはB29を製造するほうが効率が良いと計算し、ピカピカのB17を廃棄した。
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引用:http://bricknoise.com/wp-content/uploads/2017/05/6-54.jpg



アメリカ軍の合理主義

第二次大戦で日本は序盤で圧勝していながら、時間の経過と共に劣勢になり、最終的に惨敗しました。

この原因は一般的にはアメリカが豊かな物量で圧倒し、日本は資源が少ないから負けたとされている。

間違いではないが両国ではもっと深刻な違いがあり、経済が別の次元に達していました。
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有名な逸話として日本は第二次大戦初期に最強の戦闘機、零式を生産しましたが、工場から飛行場へは牛か人力で荷車を引いていました。

アメリカの戦闘機はずっと性能が低かったが、工場では大量生産が行われ、むろんトラックで運んでいました。

大量生産と市場経済では統計学とか合理性、効率などが重要で、決定的に勝敗を分けるものです。


例えば日曜日を休日にするのと、月2回休むのと、まったく休まないのではどれが最も品質が良い戦闘機を数多く作れるか、というような研究です。

自動車を大量生産するのに、優れた労働者に給料を多く払うのと、最も安い労働者を殴りつけるのではどちらが効果的か、比較が難しい。

経済が発展するほど戦争が大規模になるほど、戦闘そのものより効率が勝敗に影響を及ぼすようになります。


例えば米軍はドイツとの戦争がおよそ片付いた時、欧州に展開した大量のB17爆撃機を日本攻撃に使おうと考えました。

ところが効率を計算したところ、B17は放置して新しくB29を生産したほうが良い事になり、日本向けにB29が大量生産されました。

B17は野ざらしで朽ち果て、より性能に優れたB29生産が加速したのが日本の不運でした。



日本軍の行動原理

一方日本軍にはこうした考え方が無く、ただ休み無く働き、常に全力で戦うという方針でした。

その結果日本海軍は真珠湾攻撃で圧勝したものの、ほとんど休暇を与えられず船の整備もせず、戦場で戦い続けました。

翌昭和17年5月8日の珊瑚海海戦ではすでに疲弊しきっていて、空母機動部隊はボロボロでした。


それでも大本営は一つしかない機動部隊を碌に整備もせず、乗組員が疲弊しきった状態でミッドウェー作戦に投入しました。

ミッドウェー作戦の敗因は良く「暗号を解読されたから」とされていますが、もっと根本的には、既に戦える状態にありませんでした。

空母が6隻も居たのに規定の偵察活動を行わず、易々と敵空母から攻撃されたが、飛行可能な偵察機がなかったのでした。


南雲長官ら指揮官らも過労で頭がクラクラしたのが、重大な決断を次々に間違え、作業員もミスを連発したとされています。

これらの現象は機動部隊を休みなく戦わせた為に、乗務員は疲弊しきっていて、機材は故障しまくっていたと考えると自然な事でした。

米軍の空母部隊は真珠湾攻撃のあとハワイ周辺から動かず、休息十分ですべての艦や機材が完璧に整備されていました。


暗号と無関係に南雲機動部隊は負けるべくして負けたのであり、両者の違いは効率や合理性、統計などの扱い方の違いでした。

南雲機動部隊はインド洋でどうでも良い作戦に投入されたかと思うと、オーストラリア爆撃にも使われていて、作戦の重要性は考慮されなかった。

あまり重要でなく効果も見込めない作戦の為に、最も重要な機動部隊を酷使して、それが当然だと考えていました。



理屈より武士道

休み無く戦い続けるのを拒むような者は、日本軍では殴りつけられて議論すらして貰えませんでした。

非効率の悪夢とも言えるのが特攻で、一回の体当たりによって必ず操縦者1人が失われてしまう。

優秀な操縦者1人を育てるのに飛行学校から4年は必要だが、それをたった一回で消耗します。

しかも体当たりと通常爆撃には難易度の点で差が無く、決して「体当たりの方が簡単」という事はありません。


違いは爆撃ではぶつかる寸前に爆弾を投下し機首を引き上げ、体当たりはそのまま突っ込むだけなのです。

しかも爆弾は敵艦に突入して内部で爆発するのに対し、体当たりは航空機の機体が引っ掛かるため、表面で爆発するから威力も小さいのです。

誰か責任ある人が「特攻を止めて通常爆撃にするべきだ」と言うべきだったが、そうした人は臆病者とみなされました。


1941年に大本営が真珠湾攻撃を決めた後、昭和天皇の許可を得るため御前会議を開催しました。

会議とはいうものの結論は既に決まっていて、天皇に報告するだけだったのだが、昭和天皇は意義を唱えた。

中国にすらてこずっているのに、もっと大きいアメリカとどうやって戦うのかと聞かれた軍人達は、精神論を主張したとされている。


アメリカの主張に屈するのはわが国の屈辱だから戦わねばならない、というもので、そこには合理性は見られない。

アメリカに従うのは屈辱だと言っていた高官たちは、負け始めると真っ先に戦場から逃亡し、戦後は「戦勝国の手先」になる事で生き延びました。

こうした合理性のなさは恐らく日米経済の発展度合いの違いと、日本陸軍が旧薩長の武士から結成されたからでしょう。


理屈より武士の本懐ということです。

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