ロヒンギャ族80万人のうち過半数がミャンマーを脱出した
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引用:http://www.newsweekjapan.jp/stories/2017/09/15/magw170915-rohingya.jpg



ロヒンギャ族とミャンマー

ミャンマーのイスラム系少数民族であるロヒンギャ族が、ミャンマー軍や民衆から攻撃されている問題で、アルカイダがロヒンギャ族支援を表明している。

ロヒンギャ族はイギリス植民地時代にイギリスが、バングラディシュなどから移住させて強制労働させた人々の子孫と考えられている。

ミャンマーはイスラム系のバングラディシュや中国、仏教系のタイやカンボジアと隣接し、仏教徒が最大勢力となっている。
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仏教系ミャンマー人は三国時代の中国長江周辺から、戦乱を逃れてこの地に移住したと考えられている。

仏教系ミャンマー人が国家を形成したのは10世紀以降で、思ったほど彼らの歴史は古くない。

そして1822年にイギリスとの戦争が始まり、1886年に全土がイギリス植民地になった。


それから1942年に日本軍が占領するまでの間に、ロヒンギャ族になるイスラム教徒が、連れてこられたと考えられている。

ロヒンギャ族が住んでいるのはバングラディシュとの国境近くで、国境の向こう側は全員がイスラム教徒です。

従って強制連行された他に、自分で歩いて移住してきた人も、かなり居ると推測されます。


仏教系ミャンマー人がそれほど強固な土着民族ではないうえに、新たにイスラム教徒が移住し、両者は決して打ち解けない。

ミャンマーの仏教は日本などより原理主義的で教理に忠実であり、ロヒンギャのイスラム教は、イスラム国やアルカイダと同じスンニ派です。

両者とも決して妥協しないのが特徴で、ベトナム戦争や中国のチベット侵略では、抗議のために多くの仏教徒が、自分自身に火をつけて殉教していました。



どうして仏教とイスラム教が戦うのか

スンニ派のイスラム国とアルカイダについては説明の必要もないほどで、仏教徒とロヒンギャの対立は昔から深刻だった。

だがイギリス植民地時代はイギリスが、独立後は軍事政権が宗教の自由を弾圧したので、対立は表面化しなかった。

皮肉な事に宗教戦争を招いたのは民主化による宗教自由化で、異教徒との抗争を政府が取り締まらなくなった。


民主化後にロヒンギャ族への焼き討ちが頻発するようになり、ロヒンギャが反撃すると軍が仏教側に加勢しました。

軍の特殊部隊による村ぐるみの焼き討ちが実施されたと言われ、バングラディシュ側に追い出すのが目的と見られている。

ロヒンギャ族の人口は約80万人で、既に40万人以上がバングラディシュ側に避難したと言われています。


おそらくミャンマー政府はほとんどのロヒンギャ族がバングラディシュ側に移動したのを見計らって、攻撃を中止し沈静化を図るでしょう。

仏教徒から見てロヒンギャ族は「バングラディシュ人」なので、なんで彼らは「こっち側」に越境して住んでいるんだと思っています。

一方ロヒンギャ族は仏教徒と決して妥協せず改宗もせず、ミャンマーのイスラム教化を理想としています。



復活したアルカイダが参戦

原理主義と原理主義がぶつかっら、どちらかが滅びるまで戦うしかないので、神道と日本仏教のような馴れ合いは起きません。

日本に仏教を導入したのは聖徳太子や天皇家の人々で、例えればキリストの弟子達が「イスラム教を導入した」ような話です。

ミャンマーの宗教戦争に目をつけたのがイスラム武装組織のアルカイダで、ミャンマーへの聖戦を表明しました。


アルカイダは2001年に9.11テロを起こしてアメリカから討伐され、宗教的支配権をイスラム国に明け渡した。

ところがイスラム国もアメリカの有志同盟やロシア側勢力に倒されてしまい、再びアルカイダが復活しています。

アルカイダとイスラム国はトヨタと日産(ホンダでも良いが)のようなもので、市場シェアを争っているので、片方が衰退すると片方は復活するのです。


ミャンマーでイスラム教徒が弾圧されているというのは、アルカイダ復活を世界にアピールする絶好の機会であり、必ず何らかの行動を起こすでしょう。

アルカイダはバングラデシュ、インド、パキスタン、フィリピンのイスラム教徒に、ミャンマーへの聖戦に参加するよう呼びかけている。

ミャンマーがアルカイダに攻撃された場合、人権で対立する欧米諸国に助けを求める事はできず、中国に接近するかも知れない。

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