オットーフランクは富裕層出身の銀行家で、資産や仕事を捨てて亡命する決断が出来なかった
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引用:https://s3.amazonaws.com/s3.timetoast.com/public/uploads/photos/9505537/familiefrank-98d49e9e.jpg



アンネフランク密告を再捜査?

CNNなどによると、FBIの元捜査員が結成したチームが、アンネフランク一家を密告した「裏切り者」の捜査を始める。

元FBIビンス・パンコーク氏は、コンピュータ分析技術を駆使して、誰が裏切ったのかを特定する。

アンネフランク一家はナチスのユダヤ人狩りを逃れるため、別の一家と共に計8人で、ミープ・ヒース家の秘密部屋に隠れ住んだ。

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隠れていたのは1942年7月6日から1944年8月4日までで、この間の約2年間に「アンネの日記」が書かれたとされている。

8月4日午前10時にナチス・ユダヤ人課と警察官数名が捜索に来て、隠れ家を発見して8人を連行した。

通説では隠れ家を密告した「密告者」が存在したとされているが、別の可能性も指摘されている。


というのは当時ドイツ占領下のオランダは配給制で、配給券や物品を横流しして儲ける者が、後を絶たなかった。

建物を捜索したのは横流し捜査のためで、偶然隠れ家を発見したとも言われています。

建物に最初やってきたのは車両1台だけで、乗っていたのはSS1名と警官数名で、連行するため追加車両を要請している。

少なくとも、8人ものユダヤ人が隠れ住んでいる事は、知らなかったと見て良さそうです。


この『再捜査』で分かるのは、アンネフランクは欧米社会では今も重大な関心事であり、何かを発見すると話題に成るという事です。

沈没した豪華客船タイタニックは、未だに探索が行われ、新たな発見がある度に欧米では大騒ぎになっているが、それに似ています。

欧米人にとっては神聖なアンネフランクだが、フランク一家やアンネの日記については、公式には語られていない事実もある。



アンネの日記の秘密

秘密その一は、アンネフランクが書いた日記原本のかなりが、隠れ家の捜索を受けた時に紛失してしまっている事でした。

一家を支援したミープ・ヒース女子は、8人が連行されて警察やナチが居なくなった僅かの間に隠れ家に入り、散乱した日記の一部を回収しました。

時間はおそらく最大限数十分で、室内は引っ掻き回されて紙はバラバラになっていたので、回収できたのは半分程度だったかも知れません。


アンネフランクが書いた日記は、最初から完全な状態では存在していないと考えられ、残された断片から「日記の復元」が行われました。

アンネの父親のオットーフランクは、娘の日記を出版したいと思い、出版社に依頼して自費出版しました。

出版社は子供が書いた日記を読める作品にするために、小説家の手を借りて加筆したと推測されています。


小説家は後に大問題に発展するとは思わずに、残っていた紙に直接、加筆した文章を書き込んでしまいました。

これが日記原本に、筆跡や時代が違う文字が混在している原因だと推測されています。

アンネの日記は出版されるや世界的ベストセラーになり、ただの日記ではなく『聖書』のような存在になりました。


聖書を疑ってはならないように、アンネの日記を疑っては成らず、もし疑ったら西洋社会では「ナチス」とレッテルを貼られます。

日記を権威付けするため、アンネ・フランク財団や公的機関などが「鑑定」を行って完全オリジナルだと発表したが、日記そのものを公開しようとしない。

展示されている原本の日記はいつも同じページだけが開かれていて、他のページは非公開になっています。


アンネの日記は欠損しており、出版するために加筆した。
それを隠すから「贋物論争」が起きている
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引用:http://tomoki.tea-nifty.com/photos/uncategorized/2011/08/04/the_diary_of_anne_frank_anp.jpg



フランク一家が逃げ遅れた理由

アンネフランクは小説家になりたかったようで、最初から後で他人が読むように意識して書いていたようです。

日付に沿って書いた日記とは別に、後で整理して清書したりもしていて、日記はこれらが混在していました。

子供が書いた日記の完全オリジナルだという、財団の主張には説得力が乏しく、「加筆した」と事実を明らかにした方が、作品にとっても良いのではないか。


フランク一家の第二の秘密は、実は逃げる事が出来たのに、財産を保全したいなどの理由で、チャンスを逃していた事でした。

1932年にオットーフランクは亡命を考えるが、仕事の保障がないという理由で断念していました。

一家が1933年オランダに移住したのは経済的理由で、ジャムの原料製造の事業をしようと考えたからでした。


この頃オットーフランクにはまだ危機感がなく、仕事も安定してアンネが学校に通うように成ると、オランダでの生活を放棄するのが惜しくなりました。

1940年5月10日ドイツ軍がオランダに侵攻し、それまでの7年間は無駄になってしまった。

ドイツ軍が占領するともはや脱出するのが困難になり、ナチスから召喚状が来てから隠れ家に隠れました。


オットーフランクは比較的裕福であり、1940年までにイギリスやスイスへの移住が可能だった筈だが、仕事の都合などで危険な地域に留まりました。

オットーフランクは1945年1月27日、ソ連軍によって解放され、拘束されることもなくオランダに帰国している。


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