シリア人はドイツに来ればドイツ人と同じ生活ができると考えていた
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引用:https://i1.wp.com/livedoor.blogimg.jp/hamusoku/imgs/3/0/30dd7286.jpg



難民政策の失敗

ドイツ中央部の街ザルツギッターは人口10万人の小都市で、2年ほど前までは静かな田舎だった。

街が激変したのは2015年8月にメルケル首相が「何人でも無制限に難民を受け入れる」と発言してからだった。

この年欧州に入った難民は300万人に達したと推測され、ドイツだけで100万人が入国したと考えられている。

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夏から秋にかけて、人口数万人の町に毎日数百人の難民が到着し、公共施設や駅や学校を住居として提供した。

その後増えすぎた難民による犯罪が激増し、ドイツは難民制限を行ったが、短期間に総人口の1%以上の難民が定住した。

ここでは便宜上『難民』とするが、実際には難民認定されるまでは難民ではないので、ドイツでは移民と言っています。


ドイツは2015年に110万人、2016年に30万人以上が入国し、一部は他のEU諸国に移動したり、EU外に出て行ったりした。

2年間で110万人程度が定住したのだが、これは2年間で日本に169万人の難民が定住したのに相当している。

この結果、ドイツの小さな村では住民の数より難民が数倍にも増えた地域があり、地域が崩壊している。


ザルツギッターの小学校では生徒の3割が難民の子供で、ドイツ人や白人が1割しか居ないクラスもある。

大阪市の生野区という町では住人の過半数が朝鮮半島からの移住者で占められているが、こうした移住者は1ヵ所に集まりやすい。

先に移住した仲間を頼ったり、既に受け入れ態勢が整っているなどの理由で、特定の街に集中する。



ドイツが抱え込んだ「在日」問題

2015年にドイツの難民無制限受け入れが始まったとき、シリア人は涙を流して感謝し、ドイツ人は自分が正しい事をしていると思っていた。

だが僅か3ヵ月後には、難民とドイツ人は憎み会い、大晦日にケルン事件が発生した。

2015年12月31日から2016年1月1日、ケルンの他ドイツ各地で難民の集団がドイツ女性を襲撃し、数千人が暴行被害を受けた。


メルケル首相は事件が公にならないよう報道規制を敷き、世界中でドイツだけ事件が報道されないという珍事が起きた。

ドイツ政府は「難民はみんな良い人で、ドイツ人と仲良くやっている」という絵空事を国民に信じ込ませ、難民はドイツでテロを繰り返した。

在日外国人がそうであるように、一度入国した外国人は追い出そうとしても決して出て行かず、受入国に感謝もしない。


シリア人のドイツ人への感謝は1秒で消えうせ、「ドイツ人から差別されている」という憎悪に変わった。

シリア人はドイツで働けないし、選挙権もないし、ドイツ人のような収入も得られないし、イスラム教は差別されている。

シリア人は「ドイツに行けばドイツ人になれる」と信じていたのに、実際には収容所で隔離された。


こうした軋轢は時間が経っても解消せず、数十年に渡ってドイツを苦しめる。

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