実力主義の結果東芝では「うまい嘘をつける」ほら吹きが社長になった
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実力主義にすると無能な人が選ばれる?

実力主義、能力主義、成果主義と呼ぶ考え方が、現在の日本企業や行政では正しいとされています。

採用や昇進は実力によるべきだとされ、予算は成果や実績などによって決められるとされています。

こういう考え方が広まったのはバブル崩壊後の1990年代からで、それまでは年功序列や伝統主義が重視されていました。

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ところが「能力主義」などに替わったとたん、企業でも政治でも「能力が劣る人」が昇進するようになった。

年功序列の昭和時代の政治家にくらべて、平成の政治家の『小物感』は目を覆うものがあります。

昭和の時代の総理大臣(=自民党総裁)は当選回数だけで決められていて、そこには能力評価が入る余地はまったくなかった。


竹下登という人はノートに全ての議員の当選回数を書き、自分より上は後何人いるか、指折り数えて待ったという。

竹下登は1987年11月6日に総理大臣に選ばれたが、理由は彼より当選回数が多く、健康でスキャンダルが無い人が他にいなかったからでした。

田中角栄も佐藤栄作も中曽根康弘もみんなこうして総理になったが、平成の総理達より高く評価されている。


能力主義が適用されるようになったのは1991年の宮澤喜一(当選8回)からで、皮肉な事に「無能だ」と不評で自民党最後の総理になり下野した。

次の1993年細川護熙(初当選)から本格的な能力主義、実力主義が始まったが、この『能力の低さ』は如何ばかりだろうか。

羽田孜、村山富市、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦と続いた。


昭和の総理大臣は長期的視野や戦略性があったのに対し、能力主義で選ばれた平成の総理は、目先の選挙しか考えない。



能力評価でおべんちゃら人間が出世する

これらの顔ぶれを見ると「実力主義」よりは従来の当選回数順に総理を選んでいたほうが、よほど『能力が高い人』が選ばれていたに違いないと思えます。

役所や企業でもこれと同じ事が起きていて、能力や実力で選んだら、一番能力が劣る人が社長になる企業が続出した。

東芝やシャープの歴代社長はなぜあんな人達だったのか、優秀な人材を集めたのにもっとマシなのは居なかったのかと、誰もが疑問に思ったでしょう。


総理大臣を当選回数で選ぶ制度は、不合理なようでいて「もっとも有権者から信頼されている人」を選んでいたので、実力者を選んでいたのだと言えます。

企業の社長選びも年功序列によって、本当は「最も実力ある人」を自動的に選んでいたかも知れません。

時には失敗するが、それでも能力評価で選ばれた後の時代の社長よりは、皆有能だった気がします。


なぜこうなるかというと「能力」を評価するといっても、評価する人の判断力が低ければどうしようもないからです。

政界の政争劇を見ると分かるように、有力政治家は有能な人物よりも「自分に都合が良い人」を引き立てます。

日本がどうなろうが、自分にオベンチャラを言い、ペコペコしてくる人間を引き立てて、党の有力者にしてしまいます。


企業も同じで、次期社長は社長を選ぶ人達に好都合な人が選ばれ、「有能な人」は選ばれません。

また「有能な人」が能力で選ばれたとしても、その評価が本当に正しいのか疑問を感じる場合が多い。

年功序列時代には上司の評価なんか気にせず堂々としていた日本企業の社員は、「能力主義」の結果常に上司の評価を気にするようになった。

長期的な成果より目先の自分の評価を優先する人が増えた結果、「なぜあの人が?」と首を傾げる人が社長に成る企業が続出した。

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