縄文時代は自然に依存した生活で、身分格差や役割分担がすでにあった
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引用:縄文人のくらしhttp://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/jomon/j-chro-title.JPG



縄文時代はユートピアだったか

縄文時代は以前テレビ番組などを通じて「平等な理想郷だった」というイメージが広まり、今もそうした印象がもたれています。

理想郷イメージは主に文化人類学の研究から出てきたようですが、考古学の立場からは否定的な意見が多い。

縄文時代の始まりは約1万5000年前ごろからだが、その前に日本にも旧石器時代がありました。

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考古学の松木武彦氏らによると、日本の旧石器人は寒冷期にマンモスなどの大型獣を食料にしていました。

その時代は獲物を追いかけるため定住しておらず、広い地域でマンモスを追いかけて暮らしていたようです。

縄文時代をもたらしたのは地球の温暖化だと考えられ、日本周辺の水位は氷河が溶けて100M以上も上昇しました。


気候変動で大型獣はいなくなり、鹿やウサギやイノシシなど、今の日本と同じような小動物しか居なくなりました。

縄文人を形成する人達は大陸から九州に上陸し、日本列島全域に広まり居住しました。

ここで縄文人はマンモスを追いかけるのをやめ、定住して小動物や木の実、海産物を食べる生活を始めました。



縄文人一人に1キロ四方の空間が必要

研究者によると縄文時代の一つの「ムラ」は100人以下で、数キロおきに数十人規模の集落が点在していました。

縄文時代は農耕を行っていなかったので、自然の動植物を採集するには一人当たり1キロ四方ほどの面積が必要でした。

最も賑わっていた関東地方でも人口密度は1キロ四方あたり3人以下だったので、縄文人一人が生きる食料を得るには1平方キロ程度必要でした。


東日本では1キロ四方あたり1人以上の人口密度だったが、西日本では同じ面積に0.1人程度しか住んでいなかった。

この人口密度の違いは植物の違いがもたらしたと見られ、東日本は落葉樹林でドングリなどの木の実が豊富に取れました。

一方西日本は照葉樹林で木の実は取れず、樹木が密生していたので小動物を捕獲するのも困難だったと考えられます。


つまり西日本には元々あまり縄文人は住んでいなかった上、縄文末期には再び寒冷化が進んで東日本の木の実が取れなくなりました。

縄文人は全盛期の5000年前から3000年前にかけて急速に人口減少し、3000年前ごろには入れ替わるように弥生人が増えていきました。

弥生人は渡来人と縄文人が交じり合った人種と考えられ、縄文人は完全に姿を消しました。


縄文人は各自が自由にこのような土器を作ったわけではない
WRT
引用:http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/8ea3c48a2288bd19fabfc81444c39ea0



「平等」は近代文明の産物

さて縄文人は数キロごとに数十人の集落「ムラ」を作って住んだが、環状集落と呼ばれる円状の集落でした。

村人の家々が環になっているところから、縄文時代は平等で階級のない社会だったと考えられていました。

その後の考古学の研究では環になった家々にも階級が認められ、埋葬のしかたにも上位の人と下位の人の格差が認められる。


縄文土器や石器を加工するには高度な技術が必要で、上位の人の命令によって、役割分担がされていたようです。

縄文時代の集落は最大でも100人未満なので、たった数十人であれだけの土器や加工品を製作はできません。

数キロ離れた隣の集落や、遠く離れた地域とも人や製品の交流があり、技術も伝播していきました。


遠く離れた集落のグループと交流するには「代表者」や使者が必要だし、国家とは言えないまでも身分の格差が存在したと考えられます。

こうして今の考古学では縄文時代にも身分の差があり、階級や支配者、貧困者なども居たと推測されています。

平等という概念が生まれたのは日本では近代以降、西洋でも中世が終わってからで、近代文明の産物でした。

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