伝説のゴミイベント『60秒チャレンジ』、60秒で商品を出すため客に商品を投げつけた
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引用:http://articleimage.nicoblomaga.jp/image/16/2012/b/a/baca2de39390b1b7e9a5d47f3e4f65a6b98976c61356516016.jpg



どん底のマックが過去最高益に

数年前、日本マクドナルドは事業撤退を決めて売却先を探していました。

商談は在ったものの、売却話が進むいっぽうで業績が急回復し、売却条件を吊り上げたので立ち消えになったと言われている。

2017年12月期決算では上場以来最高益となる200億円の黒字を達成し、いまや外食のリーダーに返り咲いた。

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「デフレの勝ち組」の名を欲しいままにしていた原田マックの転機になったのは、2008年リーマンショックでした。

客離れが起きて売上も低迷し、2011年の東日本大震災後は深刻な経営不振に陥りました。

とどめを刺したのが2014年に発覚した中国産鶏肉の期限切れや2015年の異物混入事件で、この頃に売却交渉が行われていた。


2015年は380億円の赤字決算になり、同時にアメリカや中国でも客離れが起きて、世界的に経営不振になっていた。

コスト削減のため、2006年に3,828店舗だったのが現在は2,888店舗まで削減し、不採算店舗は閉鎖されました。

メディアには「日本撤退」の文字が躍り、店内は閑古鳥でガラガラ、客層はお金のなさそうな人達ばかりになっていた。


マックが撤退した跡地にはバーガーキング、ドトールコーヒー、ファーストキッチンなどが進出しました。

「マックがあった場所には固定客がいるので、新たな客が付きやすい」とマック跡地は好評で、さらにマックの酷さを印象付けた。

3年前はこうしたどん底状態だったのだが、僅か半年後の2016年後半には奇跡の復活を遂げた。



原田病の治療

原田泳幸(えいこう)氏は2004年2月に、日本マクドナルドの創業者だった藤田 田(ふじた でん)を追放する形でアメリカ本社が送り込んだ人物でした。

原田社長はアップル日本法人社長からヘッドハンティングで日本マクドナルドの社長になり、それまで一度も食品業界に関わった事がなかった。

就任の挨拶で原田氏は日本語を一切喋らず英語で、「私について来れない人間は出て行け」と語ったそうです。


原田氏はそれまでの人材育成や義理人情を排除して社員のほとんどを解雇し、本社勤務以外は全員をバイトに置き換えました。

徹底したコストカットで「100円バーガー」は大ヒットし、マックカフェ、メガバーガーなど次々にヒットを飛ばし「デフレの王者」と呼ばれた。

一方でほとんどの社員をバイトに置き換えたためサービス低下や品質の悪化を招いたが、旧社員が居た数年間は表面化しなかった。


やがてほとんどが最低時給のアルバイト店員に置き換わった頃、次々に不祥事が起きたり、顧客の不満が表面化した。

基本的な受け答えができない店員や、粗雑につくられた商品、次々に発見される異物混入でイメージが悪化しました。

原田氏は顧客の不満にも傲慢な態度で開き直り、株価や売上など数字だけを重視していました。


例えばマックの材料原産地を電話で問い合わせたネットメディアは「不満があるなら買うな」と電話を叩ききられたと言われている。

品質低下には目を覆うものがあり、2010年頃に実施した「60秒チャレンジ」では商品をゴミ扱いして客に投げつける店員が続出していました。

原田氏は「単価の低い客を店から追い出せ」と指示し、子供向けメニューやファミリーセット、女子高生向けの100円メニューを次々に廃止しました。


好評だった税込み500円以下で買えるセットメニューも廃止した結果、店には誰も居なくなり経営危機に発展しました。

原田氏は2015年3月にやっと日本マクドナルド会長を退いたが、 彼が出て行くとほぼ同時に、業績悪化が止まり年末には回復基調に乗った。

つまり狂った経営者を追い出したら業績が元に戻ったので、カサノバ社長の手腕という訳でもなさそうです。


原田泳幸には品質やサービスという概念がなく、コストと売上でしか物事を考えなかった。

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