クーデターは鎮圧されたが陸軍が議会に対して優位になり、日本は判断力を喪失した
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引用:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6c/226_Returning_Troops.JPG/640px-226_Returning_Troops.JPG



226事件で日本が失ったもの

1936年(昭和11年)2月26日に発生した「226事件」から82年が経ったが、この事件で日本は何を失って何を得たのでしょうか。

226事件とは日本陸軍の若手将校らが、軍主導の政治を求めて決起し、クーデターが失敗した事件でした。

事件の背景は1929年10月24日のNYで発生した株価大暴落によって、世界的な恐慌が起こり日本経済が破綻したことにあった。

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日本陸軍将校や兵士の大半は農村出身であり、農村では経済破綻によって人買いに子供を売る事態になっていた。

自分の姉妹や親族が借金のカタに売り飛ばされる事態に軍は激しく動揺し、軍事政権を樹立すべきという機運が巻き起こった。

明治以来の議会政治は完全に無能状態で、経済悪化を放置し悪化させていました。


226クーデターそのものは鎮圧され失敗したが、事件を鎮圧した事で陸軍の政治力は強まり、軍による独裁政権が始まりました

1937年(昭和12年)に日華事変、1938年(昭和13年)に国家総動員法、1940年(昭和15年)に大政翼賛会、1941年(昭和16年)に東條内閣成立と軍部独裁に突き進んだ。

陸軍の政治は軍事的拡大によって経済を再建するもので、領土拡大や軍事生産の拡大は上手く行き、経済は再建された。


その代わり議会による軍の歯止めが効かなくなってしまい、陸軍が提出したものを承認する機関に過ぎなくなった。

日米開戦についても議会にはなんら決定権はなく、審議された形跡もなく、陸軍が勝手に決めて勝手に開戦した。

1937年には南京占領と第二次上海事変・通州事件、1939年にはノモンハン事件、1940年に日独伊三国同盟と日本陸軍は抜き差しならないところまで深入りしていた。



軍の暴走が加速

この間帝国議会では実質的に何も審議されず、陸軍の命令にイエスと言っただけだった。

中国を占領する事が日本の利益になるのか、という本質的な議論は一度もされず、欧米との戦争についての議論もなかった。

日清戦争で日本は中国に進出し、満州事変で満州を得たが、日本は金と資源と人材を出しただけで、1円の利益も得ていないのは簡単な調査をすれば分かった筈でした。


さらにアメリカと戦争をすることが日本の利益になるかも、議論されないまま真珠湾攻撃が実行されました。

日本にはまだ「アメリカと戦争をしない」という選択肢が残されていて、オランダなどが占領している東南アジアの油田だけを占領するのも可能でした。

当時の米世論は戦争反対だったので、日本側から攻撃しなければ、少なくとも数ヶ月や1年は日米開戦を遅らせるのも可能でした。


もし226事件が起きなければ議会は陸軍の中国侵攻が経済的に失敗しているのを追及したはずで、撤退か縮小された筈でした。

陸軍の影響が強まったせいで失敗を追及されることはなくなり、中国での失敗を隠すため、さらにソ連や米英とも衝突していきました。

戦争指導でも陸軍が主導したため、海軍の山本五十六が「開戦すれば負ける」と説明したのに聞き入れなかった。


議会が機能しなくなった結果、陸軍を止める物がなくなり、運転手のいないダンプカーのように暴走をしました。

もし議会が機能していれば中国戦線は縮小し、ソ連や欧米との対立は回避され、日米戦争も起きなかったでしょう。

226事件の1936年以前から既に陸軍の影響力が議会を圧倒するようになっていて、1931年には満州事変、1933年には国際連盟脱退していました。


こうして見ると226事件は日本陸軍が暴走する過渡期に発生していて、事件が起きなくても軍事政権に向かっていました。

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