三内丸山の環状配石、縄文時代の自然信仰が神道に変化していった可能性がある
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引用:特別史跡「三内丸山遺跡」見学モデルコースhttp://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/images/course-see02_hd.png



神道と仏教の出会い

日本最古の神社は伝承としては2000年以上前に遡るが、記録に登場するのは7世紀ごろからです。

なぜなら文字による記録を始めたのは仏教を導入した7世紀以降だからで、当然ながらそれより古い記録がない。

日本書紀、古事記の記紀も8世紀の著作なので(712年と720年)、最初の天皇が即位して500年以上も後に書かれている。

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文字の無い時代の500年前の言い伝えは記録として曖昧であり、初代神武天皇から10代崇神天皇までは特に年数や場所が正確ではない。

建物としての神社の始まりは意外に新しく、最初の仏教寺院の飛鳥寺が建てられた587年以降に、現代風の神社が寺院を模倣して建てられた。

現存する最古の神社建築は1060年頃建築の宇治上神社で、仏教建築の技術を取り入れて建築されたとみられる。


仏教の導入によって神道自体も強い影響を受け、近代宗教としての体系化が進んだ。

仏教は文字によって高度に体系化されており、神道は文字を持たないところが根本的に違う。

文字による伝達があったからこそ、仏教は高度な建築や複雑な社会制度が可能になり、当時として最先端の学問でもあった。



自然信仰の起源は縄文時代

一方神道には文字が無かったので、祟りや呪い、自然崇拝など呪術的な精霊信仰で在り続けた。

仏教の日本上陸によって神道も体系化がなされ、全国の神社が日本神話と結び付けられ、無数の神社が序列化されていった。

仏教伝来以降を近代宗教とすると、仏教以前の神道とは、どんなものだったのだろうか?


現存する(当時の建物はない)最古の神社のひとつの、奈良県丹生川上神社上社は明治まで高龗神社という小さな祠でした。

大滝ダム建設に際して発掘調査が行われ、約4000年前の環状配石が発見されている。

祭祀を行う広場の環状配石があり、村人は周囲を回ったり祈りを捧げたりしたのかも知れない。


環状集落は縄文時代の一般的な集落で、10軒ほどの家が環になって並び、中央部の広場で祭りが行われていたと考えられている。

縄文集落では環になった広場の中心に墓地がある事が多く、これが形や場所を変えながら神社になっていた可能性がある。

弥生時代になると周囲を堀で囲った環濠集落になるが、堀の内側には大型の建物が建つ宗教施設が存在した。


三輪山を神として信仰する大神神社、古い神社ほど石や山への信仰が強い
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引用:むさしの散歩日記https://nishimagome.link/wp-content/uploads/2017/06/20170505_oomiwajinjya-21.jpg



自然崇拝から人間崇拝へ

縄文人の拠点は関東を中心とした東日本で、渡来人が上陸したのは九州北部、渡来人は縄文人と混合し弥生人に変化し、列島を東に進んだと考えられている。

渡来人の痕跡が多く発見されるのは九州から大阪あたりで、奈良県は弥生と縄文勢力の中間に位置している。

渡来人が最初に九州に上陸して弥生人が大阪にたどり着くまで300年、そこから青森までもう300年かかっており、弥生化は非常にゆっくりと進んだ。


縄文人は結局弥生人と交じり合って消えていくが、祭祀や習慣などは存続した。

縄文人の宗教観は北米先住民などに似た自然信仰だったと考えられ、山や石、自然物や生き物を神と考えていた。

現代の神道も濃厚に自然崇拝の要素を残しており、古い神社ほど山や石などの自然物への信仰が強い。


アマテラスなど人間の姿をした神が重要視されるのは、おそらく古墳時代に巨大古墳が作られるようになってからでしょう。

古墳時代以降に巨大な権力を持つ王や国家が誕生し、王は神と自分を同一だと言って人々を従わせたと推測できる。

ここで神道は自然崇拝から軌道修正し、人間の姿をした神である八百万神を崇拝する事で、貴族や支配層の権威を高めた。


それからおよそ500年後に神道は仏教と出会い、強い影響を受けながら近代的な宗教へとさらに変化していった。

現代の神道は2000年前や4000年前とは似ても似つかないが、自然信仰という部分は受け継いでいる。

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