漢方医だった初代の趙性璣
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画像引用:大山健太郎(6)大阪生まれ 家族13人勉強は一苦労 商才あった父庭に樹脂工場 :日本経済新聞https://www.nikkei.com/article/DGKKZO98035350U6A300C1BC8000/



創業は町工場

アイリスオーヤマの創業者は大山健太郎だが、前身は父親の大山森佑が創業した大山ブロー工業でした。

大山森佑は在日韓国人2世で、初代の趙性璣は昭和2年(1927年)に漢方医として来日した。

戦前戦後は半島からの密航者も多かったが、正規の手続きを経て日本本土に来た。

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当時朝鮮から日本に移住したい、働きたい希望者が非常に多く、正式に認められたのはかなりのエリートだったと思われる。

趙性璣は漢方医として人望を集め、自宅には知識人が集まり賑わっていたという。

趙氏が住んでいた東大阪市は半島からの移住者が多く、商売が盛んな土地でだったので、2代目の大山森佑は医師ではなく起業家を目指した。


大山森佑は最初金属加工などをしていたが、注目されていたプラスチック成型に転向し、1958年に大山ブロー工業を旗揚げした。

当時の東大阪ではこうした零細工業所が無数に創業し、大半は後に消えていったが賑わっていました。

1964年に2代目の大山森佑がなくなって高校を卒業したばかりの3代目、大山健太郎が後をつぎました。


当時の従業員は5人で年商は500万円、メーカーの下請けでプラスチック瓶などを製造していました。

2年後の1966年に初めてメーカーとして自社ブランドで「養殖ブイ」を製造し、かなりの好評を得ました。

次に農家が使う「育苗箱」農業用品なども成功し、売り上げは5億円に増えて1972年、農業が盛んな仙台に工場を新設しました。



ホームセンターやネットの波に乗り大成功

1970年代のオイルショックで打撃を受け、東大阪の本社工場を売却し、仙台が本社になりました。

これが転機になって農業用品から一般消費者向けの園芸用品を販売し、最初の製品は園芸プランターだった。

当時ホームセンターという業態が地方で増えつつあり、園芸用品や農業用品が大量に売れました。


水まきのホースや犬小屋、プラスチックの収納箱などアイディア商品を次々に発売した。

1986年に株式会社オーヤマを設立し、1991年にアイリスオーヤマが社名になりました。

透明なプラスチック収納箱はアイリスオーヤマが最初で、アメリカや欧州でもヒットして世界中に広まりました。


ここからは現在知られているアイリスオーヤマで、ネット時代になるとアマゾンなどネットショップによって売り上げが拡大しました。

アマゾンなどのネットショップでは購入した人が商品の評価をするが、アイリスオーヤマの商品の多くは、大手家電メーカーの評価をも上回っています。

3代目の大山健太郎は54年間社長を務めて2018年6月、4代目の大山晃弘が社長に就任した。


アイリスオーヤマの株式は非公開で同族会社、韓国人創業のロッテと同じく同族経営です。

重役も親族や子供たちで固めていて、株式を公開したり経営権を手放すつもりはない。

この辺はサムスンや現代グループとも通じるものがあるが、企業が大きくなると問題も起きるでしょう。

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