日本が戦争に負けると「日本人は存在しない、半島人が弥生人として日本を占領した」などという連中が登場した
この連中は戦前には「日本人は神の子孫だ」などと言っていた
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渡来史観のゆがみ

戦後日本の学会や教育界では「日本起源」がタブーとされ、半島や大陸や西洋が起源だと言わねばならない時代があった。

日本を占領したGHQは日本の歴史を貶める事で打撃を与えようとし、GHQの手先になった東京大学や京都大学が率先して日本たたきに精を出した。

その結果日本人は渡来人という大陸や半島から移住してきた人間の子孫だ、という歪んだ歴史観が広まりました。

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だがGHQと東大が作った「渡来史観」とも言うべきものは間違っているし、最初から日本を貶めるのを目的に創作した虚実に過ぎない。

DNA解析や遺跡発掘などの地道な努力によって、日本人はどこからどう来たのかが次第に明らかになっている。

まずはっきりしているのは日本列島に最初の定住が始まったのは約3万年前で、3万2,000年前の化石が発見されている。


ユーラシア大陸全体に人類が広がったのは4万年から3万年前で、他の地域と同時期に日本列島に到達しています。

南北米大陸に到達したのが1万数千年前、オーストラリアのアボリジニは6万5000年前で非常に速かった。

人類がアフリカを出てアラビア半島に住み始めたのは10万年前、インドに到達したのは4万年前頃だったと推測されている。(現生人類以外は含まない)


こうした経緯を見てすぐに気づくのは、「あらゆる国のあらゆる人種は渡来人だ」という事です。

インド人、中国人、西洋人などすべて、4万年前くらいに中東からテクテク歩いてきた「渡来人」の子孫に過ぎない。

当然のことながら3万年前の最初の日本人も渡来人だったのだが、だから何だというのだろうか?



全世界のすべての人類は「渡来人」の子孫

GHQの手先になって日本を貶める歴史づくりに励んできた東大学者達は、「日本人は存在しない」という論法を創作し学校で子供に教えました。

その結果「日本人というのは移住してきた中国人や韓国人の子孫なのだ」と真面目に話すような戦後日本人が大学教授やマスコミ人として跋扈した。

GHQの日本破壊は大成功、東大の偉い先生たちは歴史ねつ造に成功したかに思えたが、これらは科学的事実によって否定された。


最新のDNA分析によると日本人(ヤマト)のDNAの約12%は縄文人で、 現在の人口比で1,440万人の「縄文人」が住んでいる割合になります。

同時に実施された調査で現代琉球人は20%、現代アイヌ人は50%もの遺伝子を縄文人から受け継いでいた。

これらが多いか少ないかですが、縄文時時代が終わったのは3000年前でおよそ1000年間弥生時代が続きました。


1000年間の間、毎年1000人が渡来してきたら100万人が移住してきたことになり、それだけで縄文人の(最終期の)人口の10倍です。

もっと少なく年間100人の渡来を想定しても10万人になり、渡来人の人数は少なくても継続した渡来が遺伝子に大きな影響を与えます。

そして弥生時代が終わってからの2000年間、どんなに少なく考えても年間1000人ペースで渡来してきたはずで、200万人以上に達します。


仁徳天皇期、天智天皇期、豊臣秀吉期は一時的に半島からの移住者が急増したので、もっとずっと多かった筈です。

さらに明治維新後の100年で100万人以上が半島から日本に移住し、戦後も50万人以上が居残りました。

さらに戦後も朝鮮戦争を逃れて日本に移住した人が30万人は居て、この人たちも定住しました。


これほどの渡来があったのにまだ日本人のDNAの12%が縄文人という事実は、日本人の核は縄文人だという証明になり得る。



日本人の核は縄文人

渡来は3万年前から常にあり、大半は貧しい半島から逃れて日本に渡ってくるというパターンでした。

最も有名なのは3000年前に福岡市の海岸に上陸し、稲作を始めた渡来人グループで「日本人の起源だった」と大げさに言う人もいる。

だがこの人たちは文字を持たず金属も持っていない(一つも発見されていない)石器時代人だったのが分かっています。


文明の進展度合いとしては縄文人と変わらず、たまたま稲作技術を持った人々が福岡の空き地に移住してきたというのが真相です。

稲作は大陸から半島や日本に伝わったが、半島では「畑作」のほうが主流で、稲作をする土地は無く、しかたなく九州にやってきた可能性が高い。

大陸や半島ではすでに農業の土地争奪競争が起きていて、土地を得られなかった敗者のグループが、海を渡って福岡に住み着きました。


こう書くと半島が進んでいたように感じるが、実際は日本より土地が貧しかったので、食べられる植物を植えないと食べ物がなかったのです。

だから日本列島よりも早く畑作が始まり、既に畑作があった事は新たに稲作を持ち込んだグループには不利に働いた。

今までに発見された遺跡では、日本のほうが半島よりも早く稲作が始まっているが、こうした理由からかも知れません。


その後九州の縄文人は稲作グループと合流し、弥生人という新たな文明の段階に発展します。

九州の弥生人は四国や瀬戸内海周辺、近畿の縄文人と融合してどんどん弥生化していきました。

現在の東京周辺が縄文人の拠点だったが、約2500年前に関東も弥生化して縄文時代は終わりを告げます。


だが縄文人は弥生人になる事で生き残ったので、「半島から来た進んだ弥生人が、遅れた縄文人を滅ぼした」のような事は起きていなかった。


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