日高屋の前身の来来軒(1973年)おいしくなかったという
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画像引用:https://i.pinimg.com/originals/a7/76/d3/a776d3b94f5def18c8882e9f2585d2c5.jpg



儲かるラーメン屋の原点

最近ラーメンチェーンの日高屋がビジネス界で注目されていて、美味しいという理由ではなく儲かっているからでした。

ラーメンチェーンは群雄割拠で既に飽和状態だが、日高屋は首都圏を中心に出店を進めた。

420店のうち半数の208店が東京にあり、他も神奈川・埼玉・千葉・栃木・茨城の首都圏にしか店舗がない。

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東京では最も有名なラーメン店なのに、首都圏から一歩出ると店舗も知名度もゼロという極端な戦略を取っている。

日高屋創業者・神田正の来歴がちょっとおもしろく、1941年に埼玉県高萩村(現日高市)で生まれた。

家が貧しく5人兄弟の長男だったので、小学6年生からゴルフのキャディーなどバイトをこなしていた。


中学を出ると就職し(当時は普通だった)旋盤工を経て、ホンダの季節工から製造会社の正社員になったが詰まらないので辞めてしまう。

新宿でキャバレーやボーイ、ゴルフレッスンなど職を転々とした末に、20代前半で浦和のラーメン店で働くことになった。

出前から厨房に入るようになり、半年ほどでラーメンやチャーハンを調理できるようになった。


ラーメンは売り上げが現金払いなのに仕入れはツケ払いなのを知り、ラーメンは儲かると思い独立を目指す。

その後もしばらくラーメン屋を転々として働き、岩槻(現さいたま市)のラーメン屋が潰れて後を任された。

1号店には電話がなかったので、兄弟で周辺の会社や役場に営業に行き、昼の出前注文を取った。


ラーメン屋は繁盛し、スナックと共に閉店し50万円の資金が残った。



日高屋、勝利の方程式とは

1973年に大宮(現さいたま市)で自分で初めて賃貸物件を借り、「来来軒」というラーメン屋を開業したのが、独立1号店でした。

狭い店だったが深夜営業で出前をしていたので、深夜に行列ができるほどだったという。

創業者・神田正によると「味は美味しくなかった」そうで、ここから「味より儲け」の日高屋路線が始まった。


日高屋の武器は繁華街の24時間営業で、70年代にはこうした店が他に存在せず、面白いように儲かったという。

普通のラーメン屋は郊外に多いが、日高屋は逆に駅前の混雑した場所に出店し、24時間営業をする。

駅前や繁華街には必ず深夜も働く人たちがいるので、彼らが常連客になり客が客を呼ぶ。


サービス業の人たちは「あそこのラーメン屋は夜中に開いている」という情報を無料で広めてくれます。

こうして来来軒から日高屋に名前を変え、必勝パターンの「駅前、繁華街、深夜営業」で店舗数を増やした。

逆に地方や田舎ではこうしたパターンが成立しないので、首都圏以外には出店していない。


日高屋は最近値上げで客数が減少したが、原因は人手不足と人件費高騰でした。

従業員に外国人を多く雇用しているが、非正規労働者の労働組合を作って労働条件改善を要求している。

神田正がラーメン店で修業していた頃と違い、今は労働者の権利意識が高まっている。

1号店から「美味しいラーメンより儲かるラーメン」という路線だが、それはそれで凄い。


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