北朝鮮の投票、このように監視員が見ているので反対票を投じるとばれる
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画像引用:https://www.berliner-zeitung.de/image/3593376/max/1920/1080/9a75aba86066ad0b6a4db344c2cf6d97/SA/71-66306640--wahl-unter-auf--09-03-2014-17-10-11-629-.jpg



北朝鮮の民主的な選挙とは

日本では7月21日に参議院選挙が実施されたが、同じ日に北朝鮮でも選挙が行われた。

北朝鮮で行われたのは人民会議代議員選挙という道・市・郡の地方議会選挙でした。

朝鮮中央通信は金正恩が投票する場面を放送し、全員が賛成票を投じるよう呼び掛け投票率は99.98%った。

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2019年3月には国会に相当する最高人民会議選挙も実施され、投票率は99.99%で687人が当選、賛成票が100%だった。

北朝鮮ではどのように選挙が行われるのか興味がありますが、まず選挙ポスターは投票を呼び掛けるものしかない。

候補者個人のポスターは無く、立候補名簿は開示されるが選挙活動をしないので、有権者は候補者の名前を知らない。


選挙カーや街頭演説は無く、地区の有権者会議で候補者が自己紹介や挨拶をするが、この時点で当選者は決まっている。

ではどのように投票するとかというと、北朝鮮の投票用紙には候補者の名前が印刷済みで、その人にしか投票できない。

その人に投票したくない場合は斜線を書くが、筆記用具で書くのは周囲に丸見えなので、反対票を投じたのが分かってしまう。


過去のいかなる選挙でも反対票は1票もなかったが、実は北朝鮮でも日本式の選挙が行われた時期があった。

大正デモクラシー運動で朝鮮人の間でも参政権を求める声が強まり、1925年(大正14年)に日本国内での朝鮮人の国政投票権と立候補権が認められた。

1937年の衆議院選挙では朝鮮出身の朴春琴(パク チュングム)が帝国議会議員に当選し終戦まで2期務めている。


総督府時代の平壌市内、選挙権があったのは高額所得者だけだった
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画像引用:http://livedoor.blogimg.jp/forgot_you_not/imgs/9/e/9ed3db35.jpg



北と南を分けた関東軍の最終防衛線

つづいて朝鮮総督府は1945年(昭和20年)4月1日、朝鮮に帝国議会22議席を与えたが、結局敗戦まで選挙は実施されていない。

1920年(大正9年)に朝鮮地方議会(協議会)が道・府・面に設置され、最初権限はなかったが1930年から議決機関となった。

当時の地方選挙は3年ごとだったので、1940年代まで7回以上は現在の北朝鮮でも選挙が実施された。


朝鮮地方議会は日本内地と同じく高額納税者のみに選挙権が与えられたため、当初の有権者は約2万人しかいなかった。

末期には有権者40万人に拡大したが、この間の朝鮮半島の人口は1600万人から2200万人ほどだったので、人口の2%にしか選挙権がなかった。

この頃日本内地の有権者数は人口の20%から40%に拡大したので、内地にくらべて選挙権の範囲は狭かった。


とは言え北朝鮮地域では、1920年代から40年代まで総督府が実施した地方選挙が、有権者が候補者を選べる最初で最後の選挙だった。

その後ソ連軍侵攻で関東軍(大陸の日本陸軍)が38度線南部に逃げ込んだため、南側が米軍に引き渡され、米軍によって1948年に総選挙が実施された、

韓国では米軍占領、軍政時代を経て1980年代にはじめて民主政権が誕生したが、北朝鮮は1920年代以前のまま時間が止まっている。


北と南の運命を分けたのは関東軍とソ連軍のにらみ合いで、両軍とも戦闘を避けて日本軍が下がるとソ連軍はじわじわ前進した、

関東軍が最終防衛線と定めたのが38度線で、もしソ連軍が攻撃してきたら全軍玉砕するつもりだった。

終戦後もソ連軍が38度線を突破する危機が続き、アメリカ軍がソウルに達する1945年9月9日にようやく南朝鮮の安全が確保された。


この日に半島北側に居た人は北朝鮮国民になり、南側に居た人が韓国国民になった。

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