スバル360は年収比で、現在600万円代のベンツCクラスに匹敵する高価さだった
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画像引用:http://www.wald-licht.com/~oldcar/gazou/58_s_subaru360/subaru360_01.jpg



国民車は自動車普及のきっかけになった

マレーシア政府は2019年、ダイハツと組んで新たな国民車構想第3弾をスタートさせると発表しました。

マレーシアにはダイハツが株主の「プロドゥア」と「プロトン」の2つの国産メーカーがあり、日本車をベースに生産している。

新たな国民車は排ガスや温暖化、エネルギー問題に配慮し、ハイブリッド国産車を2021年に販売する。

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隣りのインドネシアでも90年代に韓国キア自動車との合弁会社が、マツダ・ファミリアを生産していたが今は活動していない。

インドネシアでは日本車シェアが9割以上で他の外国車も売られており、国産車は存在するが現地生産の日本車の方が好まれている。

インドでは1970年代に国民車構想が始まり、多くの外国企業に話を持ち掛けたが全て断られた。


そこにスズキが応募したところ採用され、1984年から初代アルトの現地生産車、マルチ800を販売した。

マルチ800はインド初のディスクブレーキ装備で欧州車風のハッチバック4ドア、インド初のヘッドレストなどを備えていました。

それまでインドにはドラムブレーキのアンバサダーしかなく、高価なのに故障が多く雨の日はブレーキが効かなかった。


2代目マルチ800は2代目アルトで、2014年まで生産されるロングセラーになり、事実上インドの国民車になった。

世界最初の国民車と言えるのはアメリカのT型フォードで、大量生産と効率化された設計により労働者が買える車を目指した。

ヘンリー・フォードは自社工場で働く労働者が自社の車を買うようになれば、自動車の販売は大きく伸びると予見した。



実は高価だった昔の国民車

T型フォードは1908年に850ドルで発売したが、1917年には360ドルまで値下げされ、当時工場労働者の年収は500ドルから1000ドルだった。

インドの2代目マルチ800は20万ルピーで当時の1ルピーは20円なので、日本円でなんと400万円で売られていた。(日本でアルトは50万円台で売られていた)

当時のインドの年収は多く見ても2万円、年収の200年分もしたので労働者が買う車ではなかった。

その後ルピーの価値が暴落して20万ルピーは30万円まで値下がりし労働者は中古車を買えるようになったが、昔のインドで車がいかに高価なものだったか分かる。


T型フォードの大成功を見て真似したのがドイツのヒトラーでVWを創設しビートルを開発しました。

ロケットなどヒトラーの多くの「発明」と同様に、ビートルが成功したのは敗戦後で、1946年から販売開始された。

初代ビートルは戦後2000万台以上が生産され、日本政府もこれを模倣して1955年(昭和30年)に国民車構想を立ち上げた。


これに呼応して昭和33年にはスバル360が発売され、約40万台を販売するヒット車になり、これが現在の軽自動車規格になった。

スバル360は42.5万円で労働者の年収は20万円ほどだったので、インドほどではないが年収比でT型フォードの2倍から4倍高かったことになる。

現代の自動車は軽自動車で120万円ほどで、日本の労働者の平均年収は300万円ほどなので、約5か月分の収入で買える事になる。


実際には収入の一部しか自動車の購入費に使えないので、スバル360は、今のベンツCクラスに匹敵するほど高価だった。

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