コリアタウンは1500年以上前から半島出身の移住者や貴族が住んでいた
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韓国の済州島差別から日本に逃げてきた

大阪生野区は外国人が多いことで知られていて、住民の21%が外国籍で、そのうち17%が在日韓国人だった。(ウィキペディアより)

生野区住民で半島由来の人の割合は半数とも2/3とも言われるが、良くわかっていない。

なぜ生野区にこれほど半島系の住人が多いかは韓国内の差別に原因があり、多くが済州島にルーツを持っている。

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済州島は韓国の西側の島で、日本時代には島民が30万人居たが、朝鮮戦争後に3万人以下に減少していた。

済州島は北朝鮮に占領されず攻撃もされなかったのに、韓国政府の弾圧によって島民8万人がなくなりました。

島に残ったら命がないので島民のほとんどは島外に逃げ、最大10万人が日本に密航したとみられている。


済州島民が向かったのは戦前から済州島の移民が多かった九州と大阪で、特に大阪には半島出身者が多く親戚や知人が多かった。

韓国で迫害されて逃げてきた済州島民は生野区に集まるようになり、現在のコリアタウンを形成している。

済州島出身者は日本に「強制連行」されたわけでもなく、実際のところ不法に密航してそのまま住み着いた。


韓国で済州島民が差別される理由は北朝鮮支持者が多いなど政治的な事もあるが、根源的には別の人種だったからです。

日本の縄文時代から弥生時代の半島には縄文人に近い人々が住んでいたが、中国の内戦で朝鮮族が移住してきました。

朝鮮族は北から南下してきたので、北側ほど朝鮮族に近く、釜山や済州島、特に済州島は文化や人種的な違いが残っている。


この辺はヤマトとアイヌ、琉球の違いに近いが、朝鮮族系の韓国人は済州島民を激しく嫌ってきた。

韓国人に差別されるより日本で差別された方がましだったので、日本に逃げてきました。



弥生時代から大阪に半島系渡来人が多かった

渡来人は古墳時代以前に半島や大陸から移住した人々を指すが、始まりは紀元前1000年くらいに北九州の海岸に上陸した集団でした。

彼らは海岸近くに日本で初めての水田を作り、縄文人と交じり合って「弥生人」になりました。

弥生人はさらに四国や中国地方の縄文人と交じり合い、次いで近畿や関東の縄文人とも交じり合って日本列島が弥生化していきました。


こうしてキリストが産まれた頃には大阪も弥生化し、奈良でヤマト王権が樹立し大阪は首都に最も近い港になった。

西暦400年前後、神功皇后の時代に日本は三韓征伐によって半島南部を支配下に置き、大勢の労働者が日本に渡来しています。

おそらく自発的にではなく労働者として連れてきたと考えられ、大阪湾の埋め立て工事や港湾労働に従事していました。


現在の大阪市の海側はまだ海だったが、生野区は陸地の海岸線であり、百済や新羅の商人や貴族たちも暮らしていました。

神功皇后の孫は巨大古墳の仁徳天皇で、仁徳時代に渡来人がもっとも多かったと推測されている。

労働者として働いた渡来人はそのまま大阪に居住するようになり、現在も近畿や九州は半島由来の人々が多い。


その後天智天皇の白村江の戦い、秀吉の朝鮮征伐、日韓併合などで大量の渡来があり、大阪は新たな半島系住民を吸収していった。

日本側は半島から移住者が来ると昔から居た半島系住民と一緒にし、日本人とのトラブルを避けようとした。

このように2000年以上前から定期的に半島から移住者がやってきて、新たな移住者が増える事で今もコリアタウンは拡大している。

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