記録に残る最初の女性天皇は神功皇后だが、女性天皇という制度がなく即位していない
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最悪の女性天皇、孝謙天皇とは

新天皇が即位して次の天皇は誰かということから、再び女性天皇の是非の議論が活発になっている。

現在の天皇に息子はなく娘の愛子内親王のみなので、皇位継承1位は弟の秋篠宮親王が「皇嗣」に就いている。

2位は秋篠宮家の長男である悠仁親王、3位は譲位した上皇の弟である常陸宮親王となった。

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年齢から言って次世代の天皇は悠仁親王だが、天皇の娘である愛子内親王や、秋篠宮家の2人の姉も居る。

現在の法律では天皇は男子に限るとされているが、それは現在の法律で過去にはそうではなかった。

「天皇は男子に限る」としたのは実は日本政府や明治政府ではなく、ある事件がきっかけで天皇家自身が禁じました。


事件を起こしたのは46代孝謙天皇(48代称徳天皇と同一人物)で最初に即位したのは718年でした。

この頃まだ武士はなく平城京で天皇や貴族による律令政治が行われ、天皇から貴族へ実際の権力が移動していました。

孝謙天皇の父は45代聖武天皇で側室との間に男子があったが、地位が低かったのと早世したため男子の後継ぎがいなかった。


孝謙天皇は史上初めて未婚女性として皇位継承1位になり、皇太子に即位して父がなくなると天皇に即位しました。

孝謙天皇は718年産まれなので皇太子になった738年に20歳、天皇に即位した749年には31歳でした。

当時の状況から考えて天皇に即位したときはもう子供を産んで世継ぎを残す可能性はなくなっていたでしょう。



女性天皇禁止時代

そのせいなのか孝謙天皇はヒステリー気味で好悪の情が激しく、お気に入りの男子だけを宮廷に集めて嫌いな人を近づけなかった。

またいじめが大好きで下女に酷いあだ名をつけて、大勢でからかったなどの逸話も残されている。

孝謙天皇の宮廷はホストクラブのようになり、批判が高まって遠縁の淳仁天皇に譲位した。


だが孝謙天皇は実質的に淳仁天皇を支配し、6年後に退位させて48代称徳天皇として復帰してしまう。

再び宮廷はホストクラブ政治に逆戻りし、世継ぎや皇太子の指名を拒否したため孝謙天皇没後に空位になってしまった。

770年8月4日没後に藤原氏や公家が中心となって協議し、10月23日に光仁天皇が即位した。


孝謙天皇は人を人と思わないような所があり、お気に入り以外の人物を貶めるのが大好きだったので、死を惜しむ人はいなかったようです。

もう女性天皇はこりごりだ、絶対ダメだという事になり、以降1200年以上の間天皇は男子に限るとされてきました。

江戸時代の1740年に117代後桜町天皇が即位したが、これには特殊な事情がありました。


異母弟の桃園天皇が21歳でなくなり息子の後桃園天皇はまだ4歳だった事から、桃園天皇の生前指名によって即位した。

当時徳川幕府と朝廷の対立が深刻だったため、幼い皇太子の難を避けるため、公家衆が姉に中継ぎを依頼したと言われている。

後桜町天皇自身も天皇職に熱心ではなく、孝謙天皇同様生涯結婚せず子を残さなかった。


女性が皇太子や天皇になる事で婚期を逃し、後継ぎがないまま崩御するのを懸念し、この後女性天皇はより厳しく禁止された。



女性天皇全盛時代もあった

女性天皇は子孫を残さないこととヒステリー気味で好悪の情が強いなどが禁止された理由だが、女性天皇全盛時代もあった。

最初の女性天皇はあの聖徳太子時代の33代推古天皇で、皇太子だった甥の聖徳太子の活躍もあり大成功した。

十七条憲法を創設したり、当時の超大国隋に遣隋使小野妹子が「日出処天子」の国書を送ったことなどで知られている。


推古天皇・聖徳太子の2代後が35代皇極天皇で、天智天皇や天武天皇の母で舒明天皇の妻でした。

皇極天皇時代に実際の政治を行ったのは息子の中大兄皇子(天智天皇)で、推古天皇・聖徳太子の関係に近い。

中大兄皇子(天智天皇)は大化の改新や百済滅亡後の白村江の戦いで知られ、この時代に今日の「日本国」という概念が作られたとされている。


最初の2人の女性天皇が大成功だったので、第33代推古天皇から48代称徳天皇まで(推定西暦600年頃から764年)までが女性天皇全盛期となりました。

この間即位した16回のうち8回が女性、重祚(何度も即位する事)が2回あったので人数としては6人が女性だった。

その前にも22代の後に飯豊天皇、14代の後に神功皇后が天皇として政治を行ったが、天皇は男性に限るとされていたので正式な即位はしなかった。


33代推古天皇が正式に即位したのは偶然で、弟の32代崇峻天皇は蘇我馬子に暗殺されてしまい、蘇我馬子に請われて史上初めて女性天皇として即位した。

男子の天皇だと崇峻天皇の二の舞になるというので、実質的には権限のない女性のほうが安全という理由でした。

こうして神功皇后から117代後桜町天皇までを見ると、女性天皇は男子の世継ぎが居ない場合の選択肢だった。


一人娘とか弟や息子が幼いなどの理由で女性が天皇に指名され、男子の有力後継者が居る場合に即位した例はない。

すべての女性天皇に共通しているのは生父または生母が天皇の家系で、天皇の血縁者でないと天皇になれない。

また先代の天皇が「娘を天皇にする」と宣言した場合、周囲が反対しても次の天皇は娘になっている。


今後どうなるかですが、天皇が愛子親王を次の天皇に指名すると、実際にそうなる可能性は高い。

また愛子親王が結婚して男子を産み、孫を指名したり愛子親王が中継ぎ天皇になって相続する可能性もある。

秋篠宮悠仁親王に相続する場合も秋篠宮親王が中継ぎ天皇になる訳で、どうなるかは結局天皇自身が決めるでしょう。


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