毛沢東は家と農地を没収しノルマ制にしたため、収穫が激減した
U10570P1488DT20131225154900
画像引用:http://i1.sinaimg.cn/history/2013/1225/U10570P1488DT20131225154900.jpg



人類史上最悪の独裁者、毛沢東

中国では天安門事件という言葉をネットで書いてはならず、そもそもすべての投稿サイトで書き込むことすらできない。

それどころか検索サイトで検索することも不可能で、もしこうした規制を破って書き込んだら公安が家に突入して拘束されます。

だから中国の若者は天安門事件について何も知らず、犯罪者を取り締まっただけだと思っています。

スポンサー リンク

中国で天安門事件はそれほどのタブーだが、天安門事件を遥かに超える絶対タブーが存在する。

毛沢東の大躍進政策がそれで、欧米の研究では10年ほどで4000万人もの人がなくなりました。

あのナチスですら100万人から数百万人なのでその数十倍の規模に達している。


ソ連の共産革命から第二次大戦までの犠牲者がやはり数千万人だが、中国はソ連が数十年かけてやった事を10年でやった。

共産主義は理念や理想を実現するための国家なので、理想のためには犠牲はつきものだと考える。

従って金儲けや利害で集まった資本主義国や軍事国家などより、遥かに犠牲が多くなるという特徴を持っている。


軍人は権力を握って威張り散らせば満足するが、共産主義者は「心」の支配が目的で、人の心を支配する事はできません。

だから共産主義国家はかならず自国民の大量粛清をやらかし、毛沢東がやったのが「大躍進」と「文化大革命」でした。

毛沢東が大躍進を行った理由は社会を良くするため、理想を実現するためで、理想に燃える人間が最悪の人間だと理解できる。



ソ連の失敗を繰り返した中国

大躍進は1957年に毛沢東が言い出した事で、15年以内に経済でアメリカを追い越すと宣言した。

その為の政策はソ連の模倣で、集団農業や集団工場のような手法で生産性を高めようとしました。

ソ連は革命後の1918年から私有財産の没収と集団農場化に取り組み、農民がノルマより多く生産した作物を没収した。


1928年に第一次5か年計画が始まり、5年間で農業生産を2倍、鉄鋼生産を3倍にする目標を立てた。

農民から土地を没収し集団農場で働かせ、工場では集団労働で労働者を働かせた。

生産目標を達成すると罰が与えられず、目標を達成しても報酬はなにもない。


生産目標より多く生産すると目標を増やされてしまい、増えた目標を達成できないと最悪の場合収容所送りや極刑になる。

共産主義は計画経済なので、生産計画未達成は犯罪であり、反共産主義者という烙印を押される。

従って生産目標より多く生産すると、自分ばかりでなく周囲の目標も増やす結果になるので、絶対に目標を超過しないようにする。


果たしてソ連では大規模な飢餓が発生し、ソ連の指導者や技術者は毛沢東ら中国人に「同じ失敗を繰り返さないよう」忠告した。

だが毛沢東はソ連を超える事に魅力を感じ、忠告には耳を貸さなかった。


毛沢東は「食べきれないほど収穫できる」と煽ったため、備蓄を食べつくして被害を拡大した
8555631a089953be50e0a68777eb5bdd
画像引用:https://niuerdata.g.com.cn/data/shareimg_oss/big_media_img/2018/02/14/8555631a089953be50e0a68777eb5bdd.JPEG



信陽住民の半数がなくなった

1949年に中華人民共和国を建国したが、このときアメリカなど西側世界の扱いは今日の「イスラム国」程度でした。

野望に燃えた毛沢東はすぐにソ連を超えアメリカも超える事を求め、短期間に農業と工業を急成長させようとした。

毛沢東は中国で神格化されていて、たとえ誰の目にも間違っていようとも、間違いを指摘できない存在だった。


中国共産党はソ連で失敗した方法を丸ごと模倣し、農民から土地を没収し集団農場化し、ノルマを課して超過分は没収した。

農民はノルマ以上に生産すると没収されるのでわざと少なく生産するようになり、たちまち生産量が減少した。

共産主義では生産未達成は極刑に相当する重大犯罪だが、達成しても報酬はなにもない。


だが地方役人にとっては目標より多く達成すると昇進が可能になり、達成しないと降格されたり罰を受ける。

それぞれの地方で実際の生産量は減っていたのに、生産目標を超えたとするウソの報告が相次いだ。

これが最もひどかったのが河南省信陽で、実際の3倍の収穫量を達成したと報告したため、収穫量の85%を没収した。


河南省の人口5000万人中800万人がなくなり、信陽の人口800万人の半数にあたる400万人がなくなった。

被害が明るみになると毛沢東は地方役人がやったことにして、自分が農民を救済したように装った。

ところが実は河南省や信陽ですら食料は余っており、共産党や軍が備蓄していたので共産党員には被害がでなかった。


同じ村で共産党員だけが生き残り、他の村人が全員なくなったなどの例が多くあった。

毛沢東は一度は権力から追放されたものの1968年に無知な学生らを煽って暴動を起こさせ、クーデターで再び実権を握った。

これが信陽事件のあらましで中国全体では4000万人が亡くなったが、中国でこれを口にすると軽くて一生収容所、悪ければ即極刑です。

(参照 飢餓 ジャスパーベッカーなど)



スポンサー リンク