勝久氏が目指したのはロールスロイスやフェラーリ、久美子社長がやったのは軽自動車を大量に売るビジネス
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引用:http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/030/794/39/N000/000/000/143697461531792642178_c78fb8f8-l.jpg



経営のプロなのになぜ失敗した?

大塚家具の大塚久美子社長は2020年10月に退任を発表したが、支援企業のヤマダ電機から強く要求されてのことだったとされている。

事実上のクビなわけで本人は続投を希望し、再建できると考えていたようです。

大塚久美子社長は大塚勝久先代社長の長女で、2015年に経営権を争った末に勝久氏を追放して経営権を握った。

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その後勝久氏は新会社の「匠大塚」を立ち上げ、注文生産とデザイン家具を販売し今も存続している。(未公開の為業績は不明)

久美子社長になった大塚家具はニトリやイケアを模倣した経営に転換するが、一度も業績が好転しないままヤマダ電機に買収され消滅した。

久美子社長は親のコネで社長になった無能な経営者に見えるが、そうではなく経営のプロであり社長に経営手腕を請われて経営を任された。


久美子社長の経歴を見ると、一橋大学経済学部を優秀な成績で卒業し、富士銀行で総合職を勤めた。

1994年に父が経営する大塚家具に入社し、経営企画部長、経理部長、営業管理部長、広報部長、商品本部長等を歴任した。

10年間重役をを歴任したあと自ら経営コンサルティング会社を設立し独立しました。


大塚家具の経営が傾いた5年後の2009年、株主らに請われて大塚家具に復帰し2014年まで5年間社長を務めた。

勝久社長で不振だった業績を立て直したことで株主らの信頼は絶対的なものとなったが、父娘の対立は決定的なものになった。

久美子社長が目指したのはニトリやイケアのように広い店舗で格安家具を大量に売るビジネスモデルだったが、これが大塚家具と合わなかった



勝久氏は家具のフェラーリを目指した

勝久氏の経営は「一見さんお断り」で会員登録しないと入店すらできず、逆に会員は客1人に店員がつきっきりで応対する。

言ってみれば家具界のフェラーリやロールスロイスみたいなもので、フェラーリが存続しているように悪いビジネスモデルではない。

だがバブル経済を経て大塚家具の主な顧客はバブル成金になり、バブル崩壊で大半は破産した。


デフレ不況を経た日本は二極化が進み、個人資産1500兆円以上を富裕層と呼ばれる人たちが保有している。

勝久氏の顧客だったバブル成金とデフレ富裕層は微妙に違っていたようで、マッチングの失敗だったと思われる。

新富裕層はIT企業家が代表例で、新しいものが好きで古臭いしきたりを嫌う傾向がある。


バブル成金は一戸建ての豪邸に住んでいたが、新富裕層は六本木ヒルズなどに住むので家具の種類も違ってくる。

おそらく中身は変えずにネット活用などでイメージ転換したら、家具のフェラーリになれたのかも知れません。

今までお金持ちにフェラーリを売る商売をしていたのに、久美子社長は軽自動車を大量販売するような事を始めた。


大塚家具は市街地の狭い店舗が多かったが、少数の富裕層が相手なので広い店舗は必要ありませんでした。

小さなショールームのような店舗で安売り家具を売った結果、客単価が絶望的に下がりすべての店舗が赤字転落した。

今まで店先で会員登録しないと入店できなかったのが、誰でも入店できるようになり少ない店員は客対応に追われるようになった。


以前の上客だった富裕層たちは店員の対応や品ぞろえに不満を持ち、大塚家具ではなくおやじの匠大塚などに流れた。

一度安売りに転換した店舗を元に戻すことはできず、5年で事実上消滅した。

2016年に45億円の赤字、2017年は72億円、20年は77億円の赤字と経営はなんら改善されていない。


結局久美子社長が最初に経営好転したのは「おやじの客」が利用したからで、久美子社長の客ではなかった。

久美子社長は経営のプロではあったが、客の心を掴むことはできなかった


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