引用:http://takaoka.zening.info/JSDF/JMSDF/Mineyuki/photo/Dsc_5509_m.jpg
日章旗や旭日旗の起源はタブー視され学校できちんと教えられておらず、メディアや本で事実が語られる事も少ない。
日本が起源だとか、他の国が起源だとかの論争もあるが、そういった底の浅い話ではなく、地球規模の歴史がある。
日章旗(日の丸)は単なる丸に過ぎないが、この表現はメソポタミア・エジプト文明の太陽神の頭についていた「丸」から始まっている。
後光 光背が起源
放射状のデザインは仏教の仏像でも多く見られ、教科書に出てきた丸い輪っかを背負った人の写真がそれです。
光を輪であらわしたのが円光、円光を二重の輪で表したのが二重円光と呼ばれています。
円光から線が放たれている放射光、炎を表した火焔光などがあり、円光と放射線が日の丸、菊花紋章、旭日などに変化しました。
いずれも尊い人や身分の高さ、神々の崇高さを現すデザイン表現でした。
古代メソポタミアの国家アッシリア・バビロニアの神話には「太陽神シャマシュは、肩から光線を放ち現れる」という一文があり、正義と戦争の神で季節をつくるとされる。
ハムラビ法典は今から約3800年前につくられ、当時既に太陽神という考え方が存在しました。
やはりメソポタミアの古代国家シリアのミトラ神は太陽神で、この神様はローマではミトラスと呼ばれ、インドではミスラ神(ミトラ)と呼ばれた。
太陽神はインドでヒンドゥ教の神にもなり、インドは仏教の起源でもあり仏教に強い影響を与えた。
左はメソポタミアの「ミトラ神」、右は阿弥陀如来
ツタンカーメンの時代、今から3400年ほど前のエジプトの壁画には太陽神を描いた「丸」と「放射光」が既に描かれている。
太陽神を象徴する意匠としてエジプトから隣りのメソポタミアへ、さらにインド、中国を経て日本に伝わった。
太陽神の後ろから光が差す姿はキリスト教でも宗教画として用いられた。
現在もミトラ神の頭から放射状に線が出ているのがはっきりと見て取れる。
さらに遥か以前にエジプトの壁画にも、上から神を照らす丸い太陽と放射状の光が描かれていました。

引用:http://blog-imgs-35-origin.fc2.com/f/r/a/frankshimakura/Aten_disk.jpg
仏教は約2500年前にインドで始まり起源0年までに宗教として完成しアジアに広まった。
同じインドで後光のデザインが広まり、仏像や仏教画に取り入れられ中国や日本に伝播しました。
太陽の後光を背負った仏像は中国やアジア各地を経て、仏教と共に日本に伝播しました。
日本に仏教が伝わったのは飛鳥時代で起源500年代とされ、日の丸が始めて登場したのは100年後の600年代でした。
花びら、または光線として中心から線を描くデザインは、日の丸が描かれた600年代以降に誕生し、印章として各地の有力者が使用している。
「日の丸」の起源は仏教の日輪、「旭日」の起源は後光で、仏や神が後方から太陽に照らされているという表現が元になっている。
そして明治になって旭日旗、日章旗の両方が国旗として使用されるようになりました。