ワグネルは極端な消耗戦を強引な募兵で補ってきた

ワグネルがバフムートから撤退
ロシア民間軍事会社ワグネルのプリゴジンは23年5月5日、10日に部隊をドネツク州バフムートから撤退させると表明した
プリゴジンは声明で「撤退するのは、弾薬がなければ無意味に滅びる運命にあるからだ」と述べた。
プリゴジンは部下の人命を尊重するような人間ではないので、実際に戦闘を継続できなくなったのか他に打算があると考えられている
ワグネルは22年2月24日のウクライナ侵攻当初から参加し、当初ロシア軍は24間以内にキエフを占領しワグネルは反ロシア的なウクライナ政府関係者の排除を担当する予定だったという
ところがロシア軍は特に北部で連戦連敗を重ね一時的に占領した土地のほとんどを明け渡し、ロシアはクリミア半島から補給できる南部と地形が有利な東部ドンバスに的を絞った
ドンバス地方はルガンスク州とドネツク州の事でロシア側に入り込んだような地形なので、ここで戦えばロシアは3方向から補給でき包囲できる
22年5月にマリウポリでアゾフ連隊が包囲され壊滅するとロシアは徐々に勢力を盛り返し、特に東部2州で攻勢を強めワグネルが最前線に出てきた
22年9月に東北部のハリコフをウクライナ軍が奪還すると攻勢に出ているのはドネツク州のワグネルだけになり、ワグネルを率いるプリゴジンが発言力を強めていった
ワグネルとロシア軍の対立が表面化したのは年が変わった23年1月で、ドネツク州ソレダルを占領したと発表したロシア軍にワグネルは「ワグネル”だけ”が戦ったのに戦果を横取りした」と激しく非難した
この時からプリゴジンはロシア軍幹部を無能と罵り命令口調で話すようになり、ウクライナで戦っているのはワグネルだけだと言うようになった
23年1月にワグネルは1946年製Dー1榴弾砲を使用している写真が投稿され、ロシア軍から兵器を提供されず独自に調達しているのがわかった
ワグネルはロシア軍の兵器庫から兵器や弾薬を調達できず、北朝鮮やシリアやトルコや東欧諸国などに働きかけ、独自に弾薬などを調達した
ついに戦力枯渇か
米政府の推計ではワグネルだけで2月2週目までに戦死亡9000人、死傷3万人以上でこれはロシア軍全体の1/4程度に相当すると見られている
それほど消耗が激しいがワグネルの兵士動員はロシア軍とは『別枠』で22年10月の30万人動員もワグネルには回って来なかったと見られている
ワグネル兵士はウクライナ侵攻で負け始めるまでは志願兵で、元ロシア兵やシリアや東欧出身者や元ISのベテラン戦闘員などで構成されていた
ところがロシアが負け始めるとワグネル兵士の消耗が激しくなり囚人の募兵を開始、一説には囚人数万人が兵士になり半数がなくなったとも言われている
ワグネルはウクライナ東部の占領地でウクライナ人を勝手に徴兵していたのも分かっていて、妻や子を人質にとって父親をウクライナ軍と戦わせた
さらに損失が激しくなった23年にはウクライナ住民の女性を兵士として徴兵し、バフムートなどの戦場に送り込んだのも判明している
それでもワグネルの兵士は毎日100人以上失われたので、ロシアでは高校の就活面談にワグネルが参加し、兵士になるよう勧誘していた
囚人や戦闘経験がない新兵が増えるとワグネルは部隊を2つに分け、10人ほどの新兵部隊をウクライナ側に突入させ後方でベテラン兵士部隊が逃げないよう監視するようになった
これを毎日10回ぐらい繰り返し新兵が逃げたり後退しようとすると監視部隊が狙撃し、どちらにしても新兵部隊は生還できないようになっていた
23年3月になるとワグネルの戦力はいよいよ枯渇し、それまでワグネルが守っていた場所をロシア軍空挺部隊で置き換えるようになった
空挺部隊はロシア軍最強の部隊だがバフムートで激戦を繰り返した結果、彼らも次々に消耗しロシアの最精鋭部隊も消え去った
ワグネルもロシア軍も消耗しているが両者の対立はますます深刻になり、同じ戦場で味方なのにロシア軍は弾薬や燃料の提供を拒否している
ワグネルはロシア軍の車両を使えず独自に調達していると見られ、おそらく食糧や日用品などの提供も受けていない
ワグネルは少なくとも新たな募兵で勢力を立て直すまで退く必要があり、ワグネル以外のロシア軍はもう1年も現状を守っているだけです
ロシア軍はウクライナ南部に1000キロ以上の防衛線を張っているが、ウクライナ軍に積極的な攻撃をしないとみられている