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金正日と金正恩親子は何度も日本旅行していた

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金正日と金正恩の偽造パスポート

画像引用:https://jp.reuters.com/article/northkorea-kim-passports-idJPKCN1GC05K 金正日・正恩親子、偽名ブラジル旅券で日本渡航の可能性=関係筋 _ Reuters

金正日と力道山と猪木

広く知られているが問題があるらしくあまり大手メディアは取り上げないが、金正恩の母は大阪生まれで帰還事業で北朝鮮に渡った人だった

1959年から北朝鮮への帰国事業が始まり渡航したのが金正恩の母になる高英姫で、平壌芸術大学から万寿台芸術団に入り、金正日の目に留まり3番目の妻になった

同姓同名の大阪出身の同年代の女性も帰国し、某有名芸能人と近い関係だったがまったくの別人だったのが判明しています

高英姫の次男が金正恩で、母が同じ金正哲のほうが、生まれた順番から一時は後継者として有力候補だった

金正恩は過去に何度も日本に入国し、母と一緒に東京ディズニーランドで遊んだ事がある

父の金正日も何度も日本に入国した事があり観光旅行などを楽しんでいた、その滞在費用や世話一切の面倒を見ていたのは力道山だったと言われている

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プロレスラー力道山の朝鮮名は金信洛と言い朝鮮総督府時代に咸鏡南道洪原郡新豊里で生まれ、長崎県大村市の農家・百田家の養子となり、1940年に16歳で相撲部屋に入門しました

力道山は1949年に金銭問題で相撲界から追われ、1951年にプロレス入りを決意、1953年日本プロレス協会を設立しました

力道山は「日本人」として活躍したが自身は自分を日本人とは思っておらず、朝鮮人である事にこだわり続け北朝鮮に貢献したいと考えていた

力道山は北に多額の献金をし、青年だった金正日が日本に密航した時には滞在費用を含むすべての面倒を見たと言われています

力道山の人脈は弟子のアントニオ猪木に引き継がれ、猪木は何度も北朝鮮を訪問してプロレス大会を開催したり「拉致被害者は帰ってこない方が良い」と北朝鮮を支持する発言を繰り返した

猪木は「2国間の問題を世界を回って訴えてるのはおかしい」「失踪者の人数がどんどん変わるなど日本がいい加減な事を言っている」「日本は”過去の清算をしていない”」「拉致被害者が帰って来たら日本人は幸せになれるんですか」などと言っていました

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金正恩母子は何度も日本旅行

金正恩の母高英姫(コ・ヨンヒ)は元在日韓国人だったので、1991年朝鮮芸術団の日本公演に団員として正式に来日していた

その時に息子の金正恩(7歳)、金正哲も劇団関係者として入国し、東京ディズニーランドや母の故郷の大阪を訪問していた

以来金正恩は少なくとも5回日本に入国していて、金正日後継のライバルだった金正男も同じように日本旅行を度々していました

2001年に金正男が成田空港で捕まったが、日本の外務省は以前から把握しながら見逃していて、それを日本の警察に密告したのは金正恩のグループだったとされてる

金正恩と金正哲、金正男が日本旅行しているのをもちろん父の金正日も知っていたが、公式に大恥をかいた金正男は後継者争いで脱落した

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金正恩の叔母の夫の張成沢は1983年4月と91年9月に日本に入国した記録があるが、やはり高英姫の平壌学生少年芸術団の一員として83年には2か月間滞在した

張成沢は91年には建設関係の視察団の一員として訪日したが、これは90年に海部内閣が北朝鮮労働党と共同宣言をし日朝国交正常化交渉を進めたからでした

金正恩の母高英姫は親族が高容姫(日本読みはどちらもキムヨンヒ)であると訂正し、金正日からは「あゆみ」と呼ばれていたという

高英姫の父親は在日(朝鮮)人2世で母は日本人と言われるが良く分からず、当時夫について北朝鮮に渡った日本人妻が非常に多かったという

日本名は高田姫(タカダ ヒメ)で9歳のときに両親とともに帰還事業で北朝鮮に帰国、平壌芸術大学に入学し万寿台芸術団に入って金正日に見初められた(ウィキペディアより)

高英姫は公式に来日できたので独身時代や子供が出来てからも何度も日本に来ていた(1973年来日時とされる毎日新聞掲載の写真)

画像引用:https://007nis.tistory.com/15876499 高容姫(고용희)

金正恩のコンプレックス

この経歴はかなりのエリートだが父親が資産家だった(多額の寄付をした帰国者は優遇された)わけでもなくどういう経緯だったのかもわからない

北朝鮮は厳格な身分社会だが帰国者は地位が低いとされていて、本来は金正恩ではなく金正男のほうが後継者にふさわしかった

金正恩が母の出身地や出自を隠し、済州島生まれだったとあり得ない主張をするのは「母の母が日本人」では不都合だからと思われる

金正男の母は朝鮮総督府時代の名門校京城師範附属小学校を卒業した映画女優の成蕙琳(ソン・ヘリム)で、金日成にとても気に入られていた

対照的に高英姫と息子たちは出自のためか金日成から遠ざけられ、母子は平壌ではなく元山市に住み、金日成が誕生日を祝ったのも金正男だけだった

こうした事から金正日の後継者は金正男と考えられていたが、2001年5月成田空港での金正男逮捕事件で全てがひっくり返り金正恩が最高指導者の地位を手に入れた

おそらく日本の空港警察が逮捕しなかったら金正男が北朝鮮の最高指導者になっていた

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