晩年は奇行が多かった萩原流行さん
引用:http://livedoor.blogimg.jp/queentacos/imgs/3/2/329d2780.jpg
14年4月22日になくなった萩原流行さんが、日本の芸能界を捨てて、中国に移住する計画を建てていた。
14年には中国政府制作の反日ドラマに出演していた。
事務所を辞めてまで反日ドラマ出演
バイク事故で亡くなった萩原流行さんの周辺が騒がしい。
事故の直接原因は警察の護送車両と接触し転倒した事だが、何度もバイク事故を繰り返していた事から考えて、萩原さんの運転に問題があった可能性が指摘されている。
萩原流行を巡って去年2014年、芸能界を巻き込む騒動が起きていました。
バイク事故の事ではなく、萩原さんが出演した中国ドラマの「東方戦場」の事である。
ドラマは習金平国家主席肝いりの反日宣伝映画で、日本人に対する憎悪を中国人に植え付けるのを、唯一の目的として制作されました。
萩原流行さんの役どころは満州の軍人で、中国人に暴力を振るう悪の象徴というものでした。
萩原さんのギャラは日本と変わらなかったと言います。
リスクだけが巨大でメリットが何も無い仕事を、事務所が拒絶するのも当然だったでしょう。
この手の反日映画に日本人俳優が出演するのは珍しくも無いが、殆どは日本で食えない無名俳優に限られていた。
萩原さんは主役を演ずる俳優ではないが、演技力に定評があり、日本では食えないとか、中国で成功したいという理由ではなかった。
所属事務所は政治利用されるのを恐れて、出演を止めるよう説得したが、萩原さんは事務所を辞めてまでドラマ出演を選んだ。
それだけではなく、日本の芸能界から『干される』のを予想して中国への移住計画を建てていたのも分かった。
おそらくドラマに出演した理由は思想的なものだったのでしょう。
日本を捨てて中国に移住計画
萩原流行さんは1953年生まれで、20歳くらいの時が丁度、日本の左翼運動の全盛期でした。
日本赤軍や連合赤軍といったテロ組織が中国の命令によって世界中でテロ活動を起こし、日本のマスコミはこれを民主活動だと賞賛していました。
多くの若者が中国こそ我が祖国なのだと思い込み、萩原さんもこうした思想の影響を受けていたと考えられる。
重度の鬱病を患っていて、何度か起こしたバイク事故にも、病気の影響があったとされている。
鬱病になったのは1991年ごろで、妻も鬱病でした。
15年の2月には、問題のドラマと中国移住について語っている。
「海外で仕事をしようと思っていて、もう日本には戻らず、中国に移住しようと考えている。」
「パスポートの書き換えだけ日本に帰国し、半永久的に向こうに住むつもり」
中国での仕事は楽しく、移住を夢見るようになったとの事である。
このインタビューを読むと、反日ドラマ出演は、思いつきや金銭目当てではなく、日本を捨てる覚悟だったと分かる。