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橋下徹、政界引退 タレント知事から市長への足跡

朝と晩で正反対の事を言い、指摘されると激怒した
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引用:http://img.logmi.jp/wp-content/uploads/2014/08/hiaec_R.jpg

大阪都住民投票で都構想が否決され、負けたら引退を宣言していた橋下徹市長は、政界引退を示唆している。

知事として大きな成功を収めたが、国政で通用しなかった。

政界引退と撤回繰り返す

5月17日の大阪都住民投票は僅差で反対多数になり、提唱した橋下徹市長は政界引退を表明した。

ただ橋下氏は不祥事が起きるたびに、何度も政界引退を表明しており、その度に撤回してきた。


どうせ周囲が引退を止めるのを見越した上で、引退を何度も宣言していました。

今度も批判をかわすための発言かも知れないが、橋下氏の政治プランが行き詰ったのは確かでしょう。

大阪都構想は橋下大阪府知事時代に、大阪市営バスや市営鉄道の大阪市交通局を民営化しようとした所から始まっている。

大阪のバス運転手は年収1000万円以上で民間とかけ離れた給与体系で財政を圧迫していた。

また自分らの利権を守るため、労働組合や市民活動、人権活動を隠れ蓑にしていた。

大阪市交通局を民営化しようとしても、大阪市の所属であるため大阪府知事は手も足も出せない。

そこで橋下知事は知事を辞職して大阪市長に立候補し当選した。

これで改革は上手く行くかに思われたが、事態は悪化していった。

原因のほとんどは橋下氏の発言による舌禍で、要らぬ敵を作った為に、維新以外の議会が反対に回った。

橋下氏が次々に舌禍を繰り返して自滅した経緯を振り帰ってみる。

知事として成功

橋下氏は1997年に弁護士になり、翌年自分の弁護士事務所を設立し開業しました。

2000年ごろから大阪のラジオ番組で法律相談したのがきっかけで、テレビ朝日の関西番組に出演を果たした。

2003年からは日本テレビの『行列のできる法律相談所』に出演し全国的なブームになった。

報道や法律番組では「有識者」や「弁護士」などのタレント枠があり、橋下氏はその中で成功を収めた。

2007年に大阪府知事選挙に立候補し当選を果たした。

就任後僅か2年で大阪財政は全国最大の赤字から黒字に転換し、知事として大成功を収めた。

そして交通局民営化などと絡んで大阪都構想にのめりこんで行く。

大阪市および大阪府を廃止して大阪都にするという提案は、大阪人にとっては寝耳に水であった。

交通局を民営化するなら、民営化の住民投票をするなら分かるが、大阪市を廃止する意味を、誰も理解できなかった。

この頃から橋下氏は国政を目指す発言を繰り返すようになった。

維新の会を旗揚げして国政選挙に打って出た。

最盛期には安倍晋三(現首相)や小泉元首相を維新に誘い、自民、民主に変わる最大政党を目指した。

当時のマスコミには「安倍氏は維新入りを望んだが、小泉氏に相談したら激怒されたので自民に留まった」と書かれていた。

国政は地方と違い、保守と革新に大きく分かれるが、どちらも味方につけることができなかった。

橋下氏のちぐはぐな発言は、支持者の離反を招いた。

国政では信念の無さを露呈

関西国際空港を米軍基地にすると発言したが、近隣県に強い不快感を引き起こした。

八尾市の八尾空港にオスプレイを受け入れると突如発言したが、どうして大阪市長が八尾市の受け入れを表明するのか、誰も理解できなかった。

夫婦別姓に賛成を表明したが、保守的な層は嫌悪感を抱いた。

中国や韓国に謝り続ける事は無い、もう謝罪はしないと言ったが、わずか一週間後に「日本は韓国を侵略したから永遠に謝罪する義務がある。」謝罪しなくて良いなどと自分は言っていない。

マスコミが勝手に書いたと180度立場を入れ替えた。

この時以来、発言撤回と「マスコミが勝手に書いた」という弁解を頻繁に繰り返した。

日本の侵略を謝罪した河野談話を一時否定したが、これも後に撤回し「日本は謝罪するべきだ」と立場を変えた。

こうした極端な立場の入れ替えは、大阪議会での野党との連携や政党の合流の為に言っていたようである。

例えば石原慎太郎と合流を目指していた時は、石原に合わせて「日本は謝罪などしない」という勇ましい発言をする。

しかし公明党や民主党、左派勢力との連携・合流話しが出てくると「日本は謝罪するべきだ」「日本の侵略戦争は絶対に許さない」と逆の事をいうのである。

酷いときには朝と夕方の記者会見で正反対の発言をして、記者が矛盾を指摘すると「お前は捏造報道をした」と告訴を匂わせて取材拒否したりした。

日米間で問題になった慰安婦発言は、その最たるものだった。

こうしてコロコロと周囲に会わせて保守、革新両方に良い顔をした結果は、やはりどちらからも毛嫌いされた。

有権者も本当の橋下がどちらなのが区別がつかず、発言する度に離反していった。

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