拍手!2拍手!3拍手!4拍手! (記事が良かったら拍手しよう)
読み込み中...
スポンサーリンク

小泉談話でも『謝罪』はなかった 安倍談話の内容を予想

名称未設定-2-thumb-566x473-44
引用:http://y-ok.com/blog/assets_c/2011/02/%E5%90%8D%E7%A7%B0%E6%9C%AA%E8%A8%AD%E5%AE%9A-2-thumb-566×473-44.jpg

日本のマスコミと中国・韓国は安倍首相が、「70周年談話で過度の謝罪はしない」という方針を示したのに猛反発をしている。

安倍氏の先輩(同じ森派)の小泉首相は10年前、謝罪という言葉を使っていない。

河野談話が発表された理由

戦後70年の首相談話で安倍首相が謝罪するか、しないかで議論になっている。

中国と韓国、および両国の立場を支持する人は謝罪するべきだと言い、安倍首相を支持する人は、謝罪するべきでな無いと言っている。


この騒動は1993年の河野談話(官房長官談話)を、官房長官だった河野洋平氏が首相の宮沢喜一氏に無断で発表した事から始まっている。

公式な談話であれば閣議決定や議会の承認があり、天皇が読んで署名するが、河野談話には何も無い。

なぜ首相の許可無く発表できたかと言うと、自民党は選挙で大敗して宮沢首相は内閣総辞職を発表していた。

辞職を発表しても次の首相が天皇に任命されるまでは前の内閣が存続する。
この政権空白期間を狙って河野洋平が独断で行った。

従軍慰安婦の調査結果など、政府が倒れたのだからゴミ箱に捨てても良かったのである。

こうした事情だったから、河野談話の時に首相だった宮沢喜一氏が、話題になる事すらない。

宮沢総理の自民党が選挙で大敗し、野党の最大政党は社会党なので、党首の土井たか子が次の首相候補だった。

だが自民党内では、社会党と連立政権を組んで政権に留まる案が有力視されていた。

その為には社会党など野党に近い人物を党首に立てる必要があり、官房長官の河野洋平が最有力だった。

河野談話が発表された1993年8月4日には次期首相は河野洋平、連立相手は社会党だと見られていた。

河野はこの時、自民党の最高権力者で、社会党の『歴史観』に賛成して連立を組むのが目的だったのである。

こういう事情は年月が経ってしまうと分からなくなり、なぜ河野が談話を発表したのかもウヤムヤになる。

マスコミが触れない『小泉談話』

河野談話の目的は自民政権の存続と、社会党との連立だったが、後に談話は一人歩きを始めた。

政府の公式談話という事になってしまい、後の首相が振り回されたのである。

自民党と社会党の連立政権は2年後の1995年に成立し、社会党の村山首相は、河野談話とほとんど同じ内容の戦後50周年談話を発表した。

戦後50年間、終戦の日の談話は日本軍の兵士と日本国民を追悼する言葉を首相が言うのが恒例だったが、村山談話は9割が日本への罵詈雑言と敵国への謝罪だった。

その10年後の60周年談話は小泉首相にお鉢が回ってきた。

マスコミと中国・韓国は小泉談話について語ろうとしないが、謝罪や反省は次の部分だけである。

『また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。』
(外務省、内閣総理大臣談話より)

文章にするとけっこう長く見えるが、実際には全体の1割ほどでしかなく、当時は「反省が足りない」とマスコミが非難していた。

他の9割の部分は戦後の繁栄を賞賛したり、日本側の被害者の追悼などに当てられている。

もちろん日本のマスコミは小泉首相が『痛切な反省』と言った場面だけを何万回も放送して、他の発言をカットしていました。


つまり小泉首相は河野談話以前の首相談話のスタイルに、近づけようとしたと言える。

安倍首相は恐らく配分としては小泉首相と同じく、1割程度を過去の戦争の反省に当てるが、小泉首相が使った『侵略』という言葉は使わない。

『反省』はするかも知れないが宣言しているように『謝罪』は無い。

もとより10年前の小泉談話の時すでに『謝罪』は無かったのでした。

因みに村山首相の10年前の1985年8月15日には、中曽根首相が靖国神社に公式参拝し「話すことは何も無い」と言ったので談話は無かった。

タイトルとURLをコピーしました