この日を境にJRは安全コスト削減に突っ走った
引用:http://similar-image.com/photo/image/43780.jpg
このところJRの列車事故やトラブルが相次いでいる。
最初はJR北海道だけの印象があったが、今はJR東や西、九州と全てのJRで頻発している。
頻発するJRの事故
このところJRの事故や不祥事が各地で頻発している。
最初は経営が不安定なJR北海道や、新幹線開通や国鉄民営化で私鉄化した赤字路線で起きていたが、現在はJR東や西、東海でも起きている。
具体例を見ていくと15年4月12日にはJR山手線の架線を支える支柱が倒壊し、私鉄の運転手が発見しなければ、JRの電車が突っ込んでいた。
4月29日には東北新幹線のJR郡山駅(福島県郡山市)付近でパンタグラフに電気を送る架線が切断して全線不通になった。
いずれも架線や支柱の点検を怠っていた「さぼり」が原因で、最も基本的な事です。
結果は日本の大動脈とも言える山手線と東北新幹線を数時間不通にし、接続路線全てが一日中混乱していた。
5月22日には九州のJR長崎線肥前竜王駅(佐賀県白石町)で、単線の線路で上り電車と下り電車が同時に侵入して、93メートルまで接近して急停車した。
単線(上りと下りが線路を共用する)路線では信楽高原鉄道が1991年に起こっているが、今回はブレーキが間に合ったから衝突しなかっただけである。
信楽高原鉄道事故の原因は信号機が故障したので信号無視して出発し、対抗する列車にはこれを知らせなかった。
信楽高原鉄道では片方が信号を無視した場合、対抗側に赤信号を出す装置がついていたので、相手が止まると考えていた。
5月22日のJR長崎線の場合は自動列車停止装置(ATS)が備わっていたが、なぜか作動せず運転手が緊急ブレーキを掛けた。
信楽高原鉄道では衝突してJR長崎線では停止できたのは、信楽高原鉄道が双方向から走行していた時に交差したのに、JR長崎線では一方が停止していて、もう一方は駅に止まるため減速していた。
もし駅ではなく速度を出す地点で位置が交差していたら信楽高原鉄道と同じ結果になっていたでしょう。
今までに分かっているJR長崎線の事故原因は、直前に故障で停車して再出発したときに、指令所と運転手は連絡を取らず、信号機の色だけで指示を出した。
だが運転手が停止した位置は、指令所が出した赤信号より先の位置で見えなかったので、指令所に運行再開を伝える事無く電車を走行させた。
これを見て驚くのは、1991年の信楽高原鉄道事故と原因が同じ事である。
日本の鉄道では未だに指令所と運転士の間には直接の交信が行われておらず、単線区間でも運転手同士の連絡はしていない。
今はチベット鉄道ですら、運転手同士は携帯電話で位置を知らせているから、JRの安全システムはチベット以下と言える。
航空機の管制方法とJRの管制方法を見比べると、JRには互いの意思の疎通が欠如して「信号」や「安全装置」に頼っている。
JR九州は驚く事に「ミスは無くマニュアルに沿って正しく行動した」と記者会見で述べた。
マニュアルには「運転士から信号が見えない場合」などの例外は当然、書かれていなかった。
国鉄民営化の弊害
国鉄は1964年からずっと赤字経営で1980年頃から危機的状況に陥っていた。
累積債務は37兆円に達し、職員には責任感が皆無で、ストライキや日米安保反対運動などを業務中にしていた。
1982年、鈴木内閣は国鉄民営化を閣議決定したが、やや不人気な政権だったためかすぐに政権が倒れた。
替わって82年11月に登場したのが中曽根内閣で、とにかく人気抜群で87年まで5年間も首相を務めた。
タカ派の改革派で人気が高い長期政権という意味で、小泉政権に似ていた。
中曽根は就任後すぐに「国鉄の解体民営化」をぶち上げて短期間に実行した。
新会社のJRが発足したのは1987年4月1日で、中曽根総理が任期満了で退任したのが11月6日だったので、彼は総理として新会社を祝った。
JR発足当時は「看板を変えただけ」と言われ、違いは何も感じられなかった。
暫くして列車の色が「いま風」に替わったり新型車両が続々と登場し、赤字だった経営はあっという間に黒字化(本州3社)した。
民営化10年ほどは全てが成功しているように見えたが、赤字のJR北海道は問題を起こしていた。
96年12月にJR函館線脱線事故で貨物列車が脱線し、これをきっかけに安全問題が続出した。
事故後のの調査では補修が必要なのに放置した箇所が400か所以上もあった。
加えて検査が必要なのに行っていない箇所も400箇所以上あったと指摘されている。
この事故以来JR北海道は脱線や不正経理、データ改ざん、事故隠蔽などを繰り返し、現在も改善されていない。
ところで中曽根総理が行った「民営化」とはなんなのかを考えてみたい。
役所だった国鉄が民間企業になると、国鉄職員全員が一旦解雇されて再雇用されました。
先ほど書いたように国鉄には仕事をせず「日本政府を倒して共産国家を実現しよう!!」とビラ配りをするような人間が居たからである。
この連中を民営化で解雇できたのは良かったが、経営改善の為に大量解雇を行った。
重要なのはこのうち「保守点検、安全管理」の人員も大幅に減らされた事である。
これらの人員削減は民営化で一度に行われたのではなく、20年ほど掛けて職員が定年退職する事で静かに実施された。
民営化とは経費を減らすことで、その中には安全のための人件費も含まれるのである。
民営化後JRの経営は劇的に改善したが、安全の為に支払うコストは減らし続けているのでした。
東北新幹線や山手線の架線切れ、支柱倒壊などは、毎日点検すれば発見できた事で、見回りの人員すら減らした結果起きた事故でした。