特急で注文する客が7割以上に増え、下の「在来線」は邪魔になってしまった。
引用:http://blog-imgs-17.fc2.com/j/i/r/jiromeshi/080209_02_11.jpg
1960年代に登場した「回転寿司」が役割りを終えて、日本から姿を消そうとしています。
回転しない「特急レーン」に替わられて、回転レーンから皿を取る人が居なくなりました。
回らない回転寿司は回転寿司なのか
日本の食文化を変えた「回転寿司」が次第に姿を消しつつあり、近い将来には無くなるかも知れない。
回転寿司チェーン各社は回らない回転寿司へ転換していて、「かっぱ寿司」は回転レーンを全廃すると発表しました。
といっても回転が無くなっただけでレールの上を皿が走って寿司を届けるシステムは、他の形で受け継がれている。
かっぱ寿司では客席をぐるぐる回る回転レーンを廃止して、特急レーンを2段にする事にしています。
特急レーンは客が注文パネルで注文した商品を、直接その人に届けて、また帰っていくレーンで速度が速い。
回転寿司は客席まで配達しなくても良いので人件費が節約でき、客は新しい寿司を取りやすい利点があります。
同時に欠点があり、1周する間に誰も取らなかった皿は何となく「古い」感じになり、放置されて周回する事になります。
放置された寿司が増えると客から見て「古い寿司を回転させている」というマイナスイメージに結びつきます。
そして何週かすると廃棄するが、廃棄率が増えると元々低い収益率を直撃します。
寿司は他の業種と比べて材料費に掛かるコストが50%と高いので、100円の寿司が廃棄されると50円損するのです。
寿司チェーンは最初、回転する皿を取らずに注文する客を迷惑だと考えていたが、回転を無くせば廃棄率ゼロになると気がついた。
このような理由で回転寿司は『回らない化』が進み、看板の回転レーンが消えようとしています。
かっぱ寿司に続いて回転寿司発祥の元気寿司までも、回転レーンの廃止を決定し5年後に全廃します。
元気寿司では「特急」で注文する客が8割で、回転レーンから取る率は2割にまで下がっていました。
こうなると回転レーンに流した寿司はほとんど廃棄されている状態であり、経営のお荷物にすらなっている。
回転寿司発祥からここまでの流れ
最初の回転寿司は1958年に大阪「元禄寿司」が始めて西日本から広がっていきました。
同時に「元禄寿司」のフランチャイズが東日本でも始まって全国展開していきました。
1968年の大阪万博に出店したのがきっかけで知名度が広がり、本格寿司店を駆逐していきました。
最初の発想は寿司ブームでお客が増えたものの、客が増えると人手を増やさねばならず、経費を節約したいという事でした。
「元禄寿司」は1958年に特許を取得し、1978年まで回転寿司を独占していました。
特許が切れると「かっぱ寿司」「スシロー」「くら寿司」「すし太郎」「がってん寿司」などが参入して乱戦状態になりました。
やがて大手チェーン店の競争は「寿司ロボット」を生み出し、高速で出てくるシャリに、魚を乗せて回すスタイルになった。
回転寿司は値段の設定が難しく、全品均一にするか、皿の色で値段を区別するなどしているが、低価格を売りにしています。
安さが売りの100円寿司と、500円や1000円の寿司も出す高級店に2分していきました。
回転寿司が増えると客の好みも多様化し、回っている皿を取るより自分で注文したいという人が増えました。
そこでチェーン各社は「特急レーン」を編み出して、注文した品を直接その人に届けるようになった。
特急が定着すると回転レーンの寿司を取る人が少なくなり、現在は回転廃止、特急化の流れが進んでいる。
こうなるずっと前から日本海側の回転寿司店では、昼間は回転レーンを止めて通常の寿司店のように注文を受けて握る店が多かった。
皿の種類も120円、240円、480円など色々あり、人口も来客数も少ない地方の事情に合わせたやり方をしていました。
回転から特急にする事で均一価格にする意味は薄れ、ケーキや天丼などをメニューに加える店も増えています。
江戸時代の寿司はお握りくらいで、1個100円くらいからだった。
引用:http://articleimage.nicoblomaga.jp/image/12/2010/e/c/ecd8f80f80b209a829b8e78fc0535e261b7cd6f41280496656.jpg
寿司は最初ジャンクフードだった
握りずしは江戸時代に生まれ、お握りほどの大きさで大きな魚が乗り、一個食べると腹の足しになる食べ物だったようです。
値段は蕎麦が16文に対して寿司は4文から8文で、「たまご焼き」が最も高価だったと記録されています。
寿司を2個か3個食べて腹いっぱいにするのと、立ち食い蕎麦の値段が同じでした。
販売方法は屋台で、立ち食いあるいは簡単なイスに座って食べるジャンクフードの扱いでした。
屋台の他に高級料亭などで寿司を出す店があり、1人前が何両もしたそうです。
幕末から明治維新を経ても寿司は安いジャンクフードだったが、鉄道が寿司を一変させました。
鉄道と共に駅弁が販売されたが、当初の駅弁は高価で、普通の人が昼飯に買える値段ではなかった。
駅弁のメニューとして寿司を発売したところ大ヒット商品になり、この頃「寿司=高級」路線が定着しました。
高級化に拍車を掛けたのが冷蔵庫で、海から離れた場所でも食べれるようになったが、コストが掛かり値段は上がった。
高級化が頂点に到ったのが丁度回転寿司が普及した頃で、普通の人の給料では寿司を食べる事はできなくなっていました。
回転寿司の登場で寿司は100円になったが、実は物価を計算すると、江戸時代の最初の寿司の値段と同じです。
高級化を進んでいた寿司が、回転寿司によって元に戻ったわけで、このくらいが妥当な値段かも知れません。