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ココイチ(壱番屋)創業者 宗次徳二 孤児からカレー王へ

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引用:http://f.st-hatena.com/images/fotolife/s/sukima911/20070607/20070607183539.jpg

カレーのココイチは唯一成功したカレー・チェーンと言って良く、国内外に約1470店を展開しています。

ココイチの成長は創業者に支えられていて、妥協せず他のチェーンの真似をする事もしませんでした。

捨て子で孤児院に引き取られる

ココイチことカレーハウスCoCo壱番屋の株式の50%以上をハウス食品が取得し、事実上身売りしました。

創業者の宗次徳二氏が保有していた株をハウスが取得し、創業者は経営から完全に退きました。

ハウスはココイチにカレー粉を提供し、以前から株式の約20%を取得していて、連結子会社になった。


カレー専門店は同じ品質のカレー粉を大量に安定確保するのが難しく、ハウス資本を受け入れることで全国展開していた。

創業以来、宗次徳二氏の丁寧なカレー造りを曲げず、バブル崩壊も平成デフレも乗り越えてきました。

創業者が退いた事で、ココイチは確実に変わるだろうし、一つの時代が終わったと言えるでしょう。

宗次徳二(むねつぐ とくじ)は1948年石川県生まれで両親は不明、兵庫県尼崎市の孤児院に預けられました。

3歳のとき雑貨商を営む宗次夫婦の養子に貰われ兵庫県に住んだが、養父が競輪で破産し、岡山県玉野市に夜逃げをした。

住み家は住人が居なくなった廃屋を転々としたが、養母は家を出て行き、金が無いので電気や水道が無かったそうです。

一応生活保護を受給していたが、食べるものが無く草などを食べたと言っているので、夜逃げが原因で受給が途絶えたのかも知れない。

出て行った養母が見つかると、養父とともに名古屋へ移住したが、養母はまた家を出て養父と2人になりました。

養父はやはり働く事はなく、宗次徳二はパチンコ屋で落ちている玉を拾ったりしてお金を稼ぎ、養父は15歳の時になくなった。

養父と暮らした時代の唯一の贅沢は、年末の生活困窮者一時金で、父が買って来るリンゴを食べることだったという。

父がなくなった後は学校に通い、愛知県の商業高校を卒業しているが、怠け者で暴力を振るう父のほうが好きだったという。

不動産屋からカレー専門店へ

高校を卒業すると地元の土地開発会社に就職し、3年後に大和ハウスに転職し、不動産関係の仕事に就いた。

そこで現在の妻と結婚し、3年後の1973年に自宅で不動産仲介会社を設立しました。

不動産はうまく行かなかったので、1974年に夫婦は名古屋で喫茶店「バッカス」を開店しました。

当時喫茶店経営は流行していて、日本中にこうした個人経営の喫茶店が存在していました。

宗次徳二は喫茶店を開業したとき、不動産よりこうした飲食店をやりたいと強く思ったそうです。

食べたい物を満足に食えなかった子供時代の思い出が、影響していたのかも知れません。

喫茶店では若者達やサラリーマンがコーヒーを飲んでお喋りしたり、軽食を食べたりしていました。

喫茶店で出す定番メニューの一つがカレーであり、妻が作ったカレーが美味いと評判になりました。

1978年にカレー専門店「カレーハウスCoCo壱番屋」の1号店を名古屋に開店し、ココイチの歴史が始まりました。

ココイチは他のカレー屋とは違い、自分で辛さやトッピングを細かく指定する事ができるが違いはそれだけではありません。

ほとんどのチェーン店では合理化を進め、雇ったその日から一人で働いたり店長をしたりしています。

ココイチではそういう事は無く、バイトとして入店してから何年も修行し、やっと社員になり店長になります。

さらに何年も修行してやっと自分の店を持つオーナーに成れる、という制度を取っています。

1978年に開店した名古屋の1号店
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引用:http://livedoor.blogimg.jp/hontennotabi/imgs/2/e/2ef2aeda.jpg

完全さを求めた創業者

フランチャイズというよりも江戸時代の丁稚奉公から番頭になり、暖簾分けする制度に近い。

外国に出店したココイチでも同じ制度で、バイトから長い時間を掛けて店長やオーナーを育成します。

アメリカ発祥のフランチャイズシステムでは、こうした人材育成は無駄なコストとされていて、雇ったその日からマニュアルに従います。

今日雇ったバイトでもマニュアルに従えば、店長の仕事は出来るのがアメリカ流で、ココイチはファーストフードでは無いといえる。

無駄なコストが掛かるのでココイチのカレーは価格が高く、安いカレーが食べたければ牛丼屋に行けという態度です。

他にも一般的なカレー屋との違いがあり、普通のカレー屋は実はレトルトカレーを使い自社で製造はしません。

カレーは腐敗しやすいのと味が変わりやすいなどが原因ですが、ココイチでは集中してカレールーを造り、全店舗に運んでいます。

特徴のトッピングは店内で調理し、フライなどは揚げたてを提供しています。

こうした作業もフランチャイズシステムでは「無駄」であり、冷凍庫から出して電子レンジで加熱するのが普通です。

だがこうした数々の無駄は実は、ブランドイメージを確立するのに重要な意味があります。

例えばフェラーリが合理性を追求して、余った製造ラインで大衆車を作っていたら、決して現在のフェラーリにはなっていないでしょう。

逆に日本車やアメリカ車は合理的であるために、決して高級ブランドに成る事はできません。

創業者の宗次徳二は引退するまでずっと、1,000軒以上の店舗を一軒ずつまわり、店員の教育や味などをチェックしていました。

少しでも店内が汚れていると、自分で掃除用具を持って掃除したという逸話から、彼の完全主義が想像できます。

ココイチのルーはあえて個性をなくし平凡な味にしてあり、誰にでも受け入れられるようにしています。

店内は定員数をあえて少なくするため、大きなテーブルに少ないイスが配置してあります。

これは完全なサービスを提供できる人数しか店に入れない為に、わざと少ししかイスを置いていないそうです。

こうした完全さを求めてきたが、1400店に増えた事と大企業の子会社になった事で、もしかしたら変わっていくかも知れません。

宗次徳二は創業以来一日も休まず遊んだ事も無く、友人は一人も居らず、仕事に人付き合いは要らないが信念だという。

美味しいカレーをつくり、客が満足するために、社長がチャラチャラ遊んだり友達を増やす必要は無い。

引退した宗次徳二は、株式の売却利益を慈善事業などを行う資金に当てるそうです。

宗次徳二が去ったココイチはマックのように、合理性を求めるようになるのだろうか?

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