80年代に部分的ドーピング、2000年からは国家規模で始めたのが分かる。
引用:http://katachann.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2014/04/14/photo.jpg
中国は世界最悪の汚染国家
8月18日、リオオリンピック競泳女子100メートルバタフライで4位だった陳欣怡選手がドーピング検査で失格になりました。
7日の競技後の検査で陽性反応が出て暫定出場停止になっていたが、スポーツ仲裁裁判所(CAS)が失格処分を発表しました。
検査で検出されたのは利尿剤で、ドーピングを分かりにくくする為に、良く使用されている。
中国水泳協会は、処分を尊重しドーピング事件を調査すると、個人的な行為だと表明している。
中国選手団は「反ドーピング活動は高い成果を挙げている」とドーピングに反対する姿勢を示しました。
これらは本当なのか、それとも組織ドーピングを隠しているのだろうか。
中国は1980年代から突然オリンピックでメダルを量産し始めて、80年代と90年代には陸上と水泳でメダルを独占した。
当初からドーピングを疑われ、特に不自然だったのは女子選手の声や体型等の変化で、男性のような野太い声に変わっていた。
90年代の陸上で無敵を誇った「馬軍団」の主力選手が、「自分達はドーピングを強要された」と告発しました。
2016年になって、1995年に作家に当てて書いた手記が公表され、選手9人の署名がしてあった。
作家は本にして出版したが、検閲と処罰を恐れた出版社は、問題の部分をカットしたので明るみに出ていなかった。
90年代には大会前に精密検査するシステムになっておらず、検査官が中国に出張して検査していた。
ドーピング検査は現在もザル
中国政府は検査官が入国すると馬コーチらに情報を伝え、いつも検査を逃れていた。
当時の検査技術では(今も)数日で成分が薄れて検出できなくなるので、別の場所に選手を移動して時間稼ぎした。
試合後の検査は水をがぶ飲みしてトイレに行く事で血液中の成分を薄めてやり過ごした。
試合前の血液検査はブドウ糖を注射するなどして、希釈すれば検出されなかった。
つまり90年代のドーピング検査はまったくのザルで、やり放題だった。
1994年に初めてドーピング検査に引っ掛かり、中国政府が率先して「撲滅運動」に取り組んできた。
ソ連崩壊までのソ連圏諸国はドーピングで大活躍し、西側を上回る成績を挙げるのも珍しくなかった。
検査はザルで効果は絶大だったから、80年代には中国も真似し始めました。
ロシアは自国開催のソチ五輪で大規模なドーピングをやり、内部告発で露見して多くの選手が出場禁止になった。
だがもし内部告発者がいなかったら、一件も明るみに出ていない訳で、現在でもドーピング検査は「ザル」だったのです。
中国にはロシアのような内部告発者がでなかったので、今のところ国家ドーピングは証明されていない。
北京五輪が国家ドーピングの転機
馬軍団の選手達は脅迫されたのか金をつかまされたのか、現在は「そんな手紙は書いていない」と言っている。
ロシア選手の多くがドーピングで追放された事から、中国はドーピングを控えざるを得なくなり、メダル数を減らした。
前回のロンドン五輪で中国は金28、合計88のメダルを取ったが、リオ五輪では残り2日の時点で金20、合計58となっています。
北京大会では最多の51個を得ているが、1996年アトランタでは金16であり、80年代は10前後で、それ以前は不参加だった。
こうしたデータからは、80年代には水泳や陸上など特定の種目でコーチ主導でドーピングをやっていたと推測できる。
2000年シドニーから金メダルが爆発的に増えた事からは、2008年北京五輪を目指して、国家ドーピングをやり始めたと分かる。
中国は夏に比べて冬のオリンピックでメダルが少ないのが特徴的だが、良く考えると冬季種目は筋肉の強さを競っている訳ではない。
夏季種目でも柔道やレスリングなど、技や柔軟性が必要な種目が苦手で、重量挙げや体操、競泳、飛込などが得意です。
卓球、バドミントンなど反射神経が必要な競技も強いが、これらにドーピングが有利なのかは分からない。
人間同士が戦う格闘技を極端に苦手としていて、格闘技でメダルを稼ぐ日本とは対照的です。