写真では放水車が入っているが、3月11日には周辺が土砂や瓦礫で覆われていた
土砂を除去して電源車を接続したが津波で受電設備が故障していた。
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引用:http://cdn-st1.rtr-vesti.ru/p/o_500864.jpg



電源車は空輸できなかった

2011年3月11日の東日本大震災に伴う津波によって福島第一原発事故が発生したが、事故原因は冷却ポンプを動かす電源が止まった事でした。

原発は発電所のくせに、稼動停止すると外部から電気を供給して貰わない限り、最終的に冷却不能になる。

通常は外部の火力発電所から電力を供給していたが、津波でケーブルなどが破損して電力が途絶えました。
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福島原発には各原子炉に1基ずつ自前のディーゼル発電機が有ったが、津波をかぶって全て使用不能になった。

せめて建物の上に設置すれば水没しなかったが、全て屋外の地上に設置してあった。

そのような場合の為に非常用バッテリーが用意してあるが、数時間しかすべての冷却ポンプを稼動できなかった。


バッテリーはすぐに空になるのが分かっていたので、次に電源車で電力を供給してもらおうという事になった。

地震当日には「電源車が電力を供給するから問題ない」とニュースは繰り返し報道していた。

ところがどうした訳か電源車は遅々として現場に届かず、やっと届いたが電源の規格が違う別の電源車を届けてしまったと報道された。


冷却されないまま原子炉は過熱し、水素を放出し、建屋内に水素が充満して圧力に耐え切れなくなり、水素爆発を起こした。

それが有名な3月12日の爆発で、全世界にテレビで生中継されていました。

翌日になってやっと火力発電所とケーブルでつながり、冷却用ポンプは再稼動したが、電源車は最後まで役に立たなかった。



受電設備は埋まっていた

今回はその電源車がどうして現場に届けられず、また届いた電源車が役に立たなかったのかという話です。

実は東京電力と自衛隊では地震発生直後に連絡を取り、電源車を輸送する準備をしていました。

地震直後に東電は自衛隊幹部に直接電話し救援を求め、自衛隊でも大型ヘリCH47Jで空輸を検討したが、重量が重すぎて不可能と分かった。


在日米軍にも当時約10トンの発電機を空輸可能な大型ヘリはなかったが、皮肉にもこれは後に「反原発派」になる人達が大型ヘリは侵略兵器だと言って、わざわざ小型ヘリにさせた経緯があった。

自衛隊は官邸に無断で東電清水社長を名古屋から東京に空輸したが、これを知った北沢防衛相と枝野幹事長は激怒し、なんと羽田に着陸寸前だったのを名古屋に引き返させた。

これで東電の対応は5時間は遅れてしまい、社長が東京に着いたのは0時を回った翌日だった。


管首相は「東電から連絡が来ない」と激怒し始めたが、実は幹事長や防衛長官や自分自身が東電の活動を妨害していた。

交通網は大混乱し、迅速に輸送できるのは自衛隊だけなのだが、自衛隊と東電が直接電話連絡するのを禁止し、必ず官邸を通すよう命令した。

そして自衛隊が東電の指示で活動するのも禁止し、官邸を通すよう命令したが、これが事態を悪化させていった。


多忙の管首相に連絡を取るだけで時間がかかり、承認を得るために何人もの了承が必要で、一つの許可を得るのに数時間を要した。

電源車69台が福島原発に向かい、11日午後7時には最初の電源車が陸路で第一原発に到着した。

ヘリで空輸できたかどうかは、実は原子炉建屋爆発とは関係がなかったのでした。


東電清水社長が東京に来るのを妨害し、自衛隊の東電支援も禁止したのは、この男だった。
「自衛隊の独自行動はクーデターだ」とまくし立てたと言われている。
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引用:http://art17.photozou.jp/pub/927/191927/photo/74309646.jpg



政府が自衛隊出動を禁止した

政府の発表は二転三転し、最初は「接続ケーブルを忘れてきた」と言い、次に規格が合わない別な電源車を持ってきたと言い、東電と自衛隊をバカ呼ばわりした。

だが実際には電源車は正しい物だったしケーブルも有ったのだが、津波の為に「差し込み口」が瓦礫と土砂で埋まっていた。


厚さ数メートル、距離数十メートルに渡って土や瓦礫や残骸などあらゆる物が堆積し、すべて除去しなければケーブルを接続できなかった。

自衛隊は土砂の撤去を始めたが手作業なので遅々として進まず、建屋内に水素が充満して危険な状況になった。

3月12日の午後3時についに、2号機に電源車を接続するのに成功したが、海水に浸かったせいで配電盤そのものが故障し、送電できないのが分かった。


直後の午後3時36分に1号機建屋が水素爆発を起こして電源車が破損したため接続を断念、火力発電所から送電するしかないと分かった。

電源車自体が結局無駄であり、最終的には何の役にも立たなかったのだが、現場が全力を尽くした結果それが分かった。

水素爆発の原因は北沢防衛相と枝野幹事長が、東電清水社長を乗せた自衛隊機を羽田に着陸寸前でUターンさせたため、ベントの判断が遅れたからでした。


北沢、枝野、管の言い分では政府の指示を受けずに自衛隊機が民間人を乗せるのは自衛隊法違反であり、なおかつシビリアンコントロールに反している。

自衛隊は地震を利用してクーデターを起こそうとしており、今後一切東電と電話すらしてはならないというものだった。

法律上はそうだが非常事態であり、こんな時に憲法理念やシビリアンコントロールを盾に自衛隊の出動を禁止したのだった。



責任を逃れた3悪人


地震後数分で出動した自衛隊は、この事件の後は官邸から命令を受けた後でしか動かなくなり、後手後手を踏むようになる。

東電清水社長は地震翌日0時を回った後で東京に到着し、それから会議をして政府に水素放出(ベント)したいと報告した。

ところがこの時既に官邸は、12日朝に管首相がヘリで福島第一原発視察を決定していて、首相が視察するのに水素放出なんかとんでもないと却下した。


管首相は3月12日朝7時過ぎにヘリで第一原発を視察し、その後東電はベントしようとしたが、既に圧力が上がりすぎてバルブが動かず、圧力を下げられなかった。

もはや全てが手遅れで、午後3時36分に1号機建屋が水素爆発し、続いて3基の建屋も連続して爆発した。

最初の爆発に驚いてベント作業が中断し、4基の原子炉建屋すべてが爆発するまで作業ができなかった。


吉田所長は海水注入の許可を求めたが東電本社は禁止し、禁止した理由は菅首相が「海水を入れたら爆発する」と主張したからとされている。

菅直人首相は「ボクは原発の事は良く分かっている」と言い、水素放出と海水注入の許可を出しませんでした。

しかも菅首相は「自分が海水注入や水素放出を指示した事にしろ」と言って東電が妨害した事にし、「東電が東電が」と騒いでいました。


この後管首相は「東電が・・・」と嘘の発言を繰り返して、自分の責任を逃れ、福島第一原発の吉田所長に罪をなすりつけた。

東電社長を追い返して事故原因を作った枝野幹事長は、爆発で放射能を放出しているのに「ただちに放射能漏れは無い」と有名な発言を残した。

犯人の1人である北沢防衛相も責任を認めず、2016年に旭日大綬章を受章している。