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済州島4.3事件とは 韓国政府が隠している事

済州島は観光地として知られているが、1950年代には島民が10分の1に減少した
제주도
引用:http://cfile21.uf.tistory.com/original/277F6F425353B58A2C3D04

侵略者李承晩

韓国政府は”ある時期”から日本統治時代の行いを熱心に糾弾し始めたが、その前はむしろ日本に感謝していました。

李氏朝鮮時代と比べて庶民の暮らしは急激に良くなったので、独立なんかせず日本に留まりたいと、大多数の人々は考えていました。

日本から切り離された北と南の朝鮮にはそれぞれソ連軍とアメリカ軍が侵略してきて、再び植民地になりました。

前の飼い主から新しい飼い主に売り飛ばされたようなもので、朝鮮の人々はより貧しくなりました。

日本企業が引き上げて日本との交流も途絶えたので、不況とインフレが襲い失業者が急増しました。

米軍の統治のまずさによって疫病が蔓延し、コレラ、天然痘、ペスト等が蔓延しかなりの人がなくなりました。

南朝鮮ではすさまじい反米運動が起こり、収束するためにアメリカは独立させる事にし、1948年に韓国を建国しました。

初代大統領は国民投票ではなく国会議員のみで選び、第一回国会選挙は米軍監視下で、米軍に不都合でない人物が当選するように仕組まれていた。

半分はヤラセであり、この結果アメリカに留学経験がある、アメリカにとって好ましい李承晩が初代大統領になった。

李承晩は親米というよりアメリカ人のような意識を持つ人間で、韓国人にはほとんど無名の人物でした。

1905年から1918年までのほとんどをアメリカで過ごし、1919年から1945年までは上海で独立運動をしていた。

1899年から1904年までは刑務所に入っていて、韓国皇帝の使者として渡米したのに、韓国を裏切ってそのままアメリカに住み着き留学しました。

済州島4.3事件の始まり

韓国皇帝の使者として派遣された李承晩は、「皇帝は朝鮮人の代表ではない」と自分が朝鮮代表として振る舞った。

李承晩は日本時代が始まる前に朝鮮から逃亡し、日本が戦争に負けてからノコノコ帰ってきたので、朝鮮人は誰も彼の事を知らなかった。

アメリカナイズされた李承晩は朝鮮人を見下す態度を取り、これが韓国の悲劇に発展していきました。

大統領に就任した李承晩に朝鮮人は従わず、反米闘争をしたり日本時代は良かったと言う者、北朝鮮を支持する者が多く居ました。

李承晩は国民を自分に従わせるため、警察や軍隊、公安、果ては犯罪組織やならず者を使って国民弾圧を開始しました。

最初の弾圧は大統領に就任する前から、朝鮮で最も貧しかった済州島で始まりました。

済州島は李氏朝鮮時代には貧困に喘いでいたが、日本時代はそれなりに発展し恩恵を受けて、日本が撤退すると不満が爆発していました。

第一回国会選挙が1948年5月10日、8月13日に韓国建国、大統領選挙は事実上行われず李承晩が初代大統領に就任した。

済州島4.3事件は4月3日なのでこれらの出来事の前だったが、実際にはアメリカ政府と米軍は、最初から李承晩を大統領に決めていました。

アメリカ軍が占領する前、日本軍はすでに朝鮮を独立させようとして、建国準備委員会を創設していた。

1945年9月6日には朝鮮人民共和国を建国したが、米軍は朝鮮独立なんか認めないといって解散させました。

朝鮮人民共和国の勢力は李承晩の政敵であり、済州島人民委員会を中心に、米軍が押し付けた李承晩政府は「傀儡政権」だとする主張が支持されていた。

済州島4.3事件と朝鮮戦争

済州島では南北統一政府の建国運動が盛んだったが、在朝鮮アメリカ陸軍司令部は日本で言う暴力団やならず者を島に送り込んで、島民を襲撃させました。

1948年4月3日に島民は武装蜂起し本土から派遣された韓国軍と武力衝突し、この日から1957年まで9年間も「島民狩り」を行った。

最初の襲撃は米軍が送り込んだならず者によって行われ、米軍が大統領にした李承晩が引き継ぎました。

事件前に島民は30万人居たが8万人がなくなり、多くの島民が脱走して1957年には人口3万人以下に減少していました。

日本の研究者によると朝鮮戦争前後に済州島から2万人から4万人が日本に密航し、現在は大阪市生野区などに多く住んでいると言われている。

因みに金正恩の母の高英姫の一家は済州島出身で、やはり鶴橋で戦前戦後をすごした後、北朝鮮に帰国している。

高英姫の父は1929年に日本に渡った(真偽は不明)と言われているので、済州島4.3事件のかなり前に日本に来ていた事になる。

済州島を追われた島民たちは、命からがら日本に辿り着き、同じ島民が住んでいる地域に集まったのは、想像に難くない。

済州島の島民狩りは1957年に終わったが、その後も韓国史に暗い影を落とし、「そうだ日本になすりつけよう」と考え出したのが「済州島の慰安婦狩り」でした。

吉田清治なる人物が1980年代になって「日本軍が済州島で慰安婦狩りをした」と言い出し、1982年9月2日から朝日新聞がこれを事実として数十年間掲載し続けた。

吉田清治の証言や取材が丸ごと虚言だったのが明らかになって居るが、これに大喜びしたのが韓国政府でした。

済州島4.3事件を隠すのに「日本軍が済州島で慰安婦狩りをした」というのは実に好都合だったからです。

韓国政府は現在も慰安婦狩りを事実だと主張しているが、その理由は日本を批判すれば済州島4.3事件を隠せるからです。

韓国政府と李承晩、アメリカ軍による朝鮮人粛清は、済州島から始まって韓国全土で100万人以上に達する「保導連盟事件」に発展します。

長くなったので「保導連盟事件」は別の機会に書きます。

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