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滅びゆくロシアの民主制 プーチン以外の立候補を禁止

プーチンは経済が行き詰ると、国民には抑圧的、外国には侵略的に振る舞うようになった
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引用:https://timedotcom.files.wordpress.com/2017/01/170110_putingold.jpg

プーチン政治の変化

ロシアのプーチン大統領は2012年から、途中4年間「首相」になった時期も含めると2000年5月から17年間最高指導者を務めている。

2018年3月に実施される大統領選も圧勝する見込みなので、2024年まで大統領を務める予定になっている。

ロシアの大統領任期は4年で連続当選は2回までだったので、2008年に一度首相に降格し、4年後にまた大統領になった。



大統領の任期は6年に延長されたので、1人が連続して12年間大統領を続ける事が可能になった。

さらに連続3選まで可能にする話もあり、プーチンの政治力が衰えなければ現実になる。

プーチンの前のロシアは混乱した時代だったが、最初の8年間で実質GDPが1.5倍になり、ロシアは安定を取り戻した。

この成果は主として天然ガスや地下資源輸出によるもので、エリツィンやソ連時代には活用されていませんでした。

だが2015年ごろ原油価格が暴落すると一転してロシアの資源経済も破綻し、プーチンは軍国主義や独裁政治で政権を維持しようとしました。

このパターンは戦前のドイツに似ていて、最初ヒトラーは経済重視であまり抑圧的ではなく、ユダヤ人からも支持されていました。

ところが経済成長が限界に達すると人々を満足させられなくなり、抑圧と軍国主義、対外侵略で政権維持を図りました。

経済停滞したロシアでは富裕層をみせしめに逮捕したり、民主活動家の拘束、反プーチン活動家の襲撃などが多発しました。

最近の選挙では反プーチンの候補者に犯罪嫌疑をかけて有罪にし、立候補させないようにもしています。

消えるロシアの自由

欧米から経済制裁されるとますます国内弾圧は厳しくなり、反プーチン的な言論は取り締まられ、プーチン主義を学校で教えるようになった。

経済制裁の原因をつくったのはウクライナを巡る米露の主導権争いで、もともとウクライナはソ連圏の一部を構成していました。

ウクライナ東部はロシア人が多く居住し、クリミア半島ではロシア系が過半数だったとも言われています。

原油経済が不振になるほどプーチンは領土問題にこだわり、ロシア軍特殊部隊を投入して米軍が支援する勢力と武力衝突に至りました。

さらに中東のシリアにロシア空軍を移動させて事実上シリアを勢力下に置き、米軍や西側勢力と対峙しています。

これらの軍事政策は政治的には成功したが、西側との対立を深めてしまい、膨大な軍事支出で財政を圧迫した。

するとプーチンは国民の不満を抑えるため、益々抑圧的に振る舞い、プーチンを支持しない国民を弾圧するようになった。

ロシア人の70%以上がプーチン支持を表明しているが、プーチン以外の選択肢がないうえに、「プーチンを支持しません」というと孤立して罰せられる。

このようにロシアは一時的な繁栄の後、衰退し過去の抑圧的な政治に戻りつつある。

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