孝謙天皇以来、女性天皇はタブー視されるようになっていく
img_4_m
画像引用:画像引用:関東の古墳&史跡探訪https://blogs.yahoo.co.jp/ken_kohun/68669576.html



女性天皇は一般的だったか

皇位継承のたびに女性天皇の是非が話題になるが、過去の女性天皇について多くは知られていない。

女性天皇は10人前後存在したが、かならずしも男性天皇と対等だったのではなく、格差が存在した。

夫や父親が崩御して他に継承すべき男性がいなかったという例が多く、男性継承者が子供だった場合も多い。

スポンサー リンク

大半は男性の皇位継承者にしたかったのだが、やむを得ず女性天皇が即位している。

女性天皇の即位後に男性の皇位継承者が成人し、天皇が退位したり譲位した例もあった。

また女性天皇が即位したのはある時代に集中していて、大半の時代では避けられていた。


では一人ずつ女性天皇の実態を見ていくが、一人目として神功皇后を外す訳にはいかない。

神功皇后はまだ女性天皇が存在しなかった時代(西暦400年前後?)に天皇に代わって実権を振るったと日本書紀に書かれている。

第14代仲哀天皇の妻で、父母ともに身分の高い貴族で、応神天皇の母でもある。


仲哀天皇の崩御から応神天皇が即位するまでは、神功皇后が事実上の天皇だったが、正式には天皇不在期間となっている。

天皇だった夫が崩御し、息子が成長するまで妻が天皇というパターンは、この後も何度か繰り返される。

2人目は飯豊天皇で、第22代清寧天皇の崩御後に、第17代履中天皇の皇女である飯豊青皇女が事実上の天皇として実権を振るった。


その後弟が顕宗天皇として即位し(西暦470年前後?)、飯豊天皇も正式には天皇不在期間となっている。



女性天皇の全盛時代

3人目は推古天皇で、父は欽明天皇、夫は敏達天皇、用明天皇が兄という皇族の女性だった。

やはり夫の崩御後に政争や内紛があって男性の皇位継承者がなく、初めて正式な女性天皇として即位した。

推古天皇時代の皇太子が有名な聖徳太子で、「冠位十二階」「十七条憲法」発令や、小野妹子らの遣隋使派遣などをおこなった。


4人目は斉明天皇で、夫の舒明天皇の崩御後に一度目の即位をし、一旦は男性継承者に譲位したが孝徳天皇の崩御後に2度目の即位をした。

斉明天皇の崩御後は息子の天智天皇が即位して、夫→妻→息子のパターンが繰り返された。

5人目は持統天皇で、夫の天武天皇の崩御後に即位し、息子の草壁皇子は早世したため天皇にはならなかった。


持統天皇の早世した息子の妻(天智天皇の皇女)が元明天皇として即位、その息子は文武天皇として即位している。

6人目は第44代元正天皇で草壁皇子の長女、弟の文武天皇が崩御し男性後継者が幼少だったため、姉の氷高皇女が天皇として即位した。

史上初めて夫からの継承ではなく独身で天皇になり、生涯結婚せず、したがって息子の後継者もいなかった。


母から娘への皇位継承が行われたのも初めてで、女性天皇が根付くかに思われた。


男性から男性への継承ができない理由があった場合のみ、女性天皇が「中継ぎ」として登板した
ex-dankei1
画像引用:「女性天皇」と「女系天皇」 ── 国民が理解しておくべき最重要ポイント(下)http://teikoku-denmo.jp/history/honbun/yuushikisha_kaigi6.html



女性天皇はなぜ居なくなったか

7人目は第46代孝謙天皇で、聖武天皇に男子が誕生しなかったため、やむを得ず長女が天皇になったとされている。

孝謙天皇も生涯独身だったが、在位中の評判は悪く、内紛や抗争が絶えなかったとされている。

評判が悪い上に2度も天皇に即位し、独身なので後継者も残さなかったため、以降女性天皇が敬遠されるきっかけになった。


8人目は第109代明正天皇で、父の後水尾天皇が徳川幕府の対立から譲位したためわずか7歳で即位した。

21歳のときに弟に譲位しており、最初から一時的な即位の後に、弟に譲位するのが決まっていたといわれている。

9人目は最後の女性天皇になった第117代後桜町天皇で、皇位継承の抗争から、中継ぎとして桜町天皇の皇女が即位した。


最後の2人は男性の皇位継承者が幼かったため、最初から譲位する予定で女性天皇が即位していました。

女性の最高権力者の候補としては魏志倭人伝の「卑弥呼」、日本書紀と古事記に登場する「アマテラス」も候補になるが、いずれも神話の域を出ない。

こうして9人を検証すると、いずれも男性の後継者が幼少か即位できないなどの事情があり、天皇の妻か娘が即位したのが分かる。


男性の皇太子がいながら女性天皇を積極的に選んだ例は一例もなく、第46代孝謙天皇が不評だったからかその後は敬遠されるようになった。

孝謙天皇の崩御は764年であり、以降1200年以上に渡って「女性天皇は避けるべき」という暗黙のルールが存在した。

正式に即位した最初の推古天皇は593年だったので、江戸時代の2人を除くと、女性天皇が即位した時代は170年間にすぎなかった。