日産のゴーン逮捕から企業統治問題が発生し、フランス国営化するか独立かということになっています。
最初に国営化をしかけたのはフランスのマクロン大統領で、今後半年以内に国営化の手続きをするつもりだった。
ゴーンは当初反対していたものの、自分の地位の保証と引き換えに、ルノー日産国有化に合意しました。
こうしたタイミングで日産が東京地検に告発して逮捕した事は、やはり関係があると推測します。
ところで日産は90年代に経営破綻してルノーが買収したが、どうしてこうなったのでしょうか。
1991年から98年にかけて確かに日本は不況だったが、他の自動車メーカーは破綻していません。
有名な逸話として日産では社長や経営陣にモデルチェンジの決定権がなく、工場長が決めていました。
座間工場など有力な工場長は労働組合幹部を兼ねていて、労働組合の合意がないとモデルチェンジできませんでした。
日産マーチは8年間モデルチェンジしないと労組と約束し、他の車も老朽化したまま放置されました。
トヨタは4年ごとにモデルチェンジしていたのに日産は6年か8年ごとなので、その差は販売に現れました。
こうして日産はホンダにも抜かれて国内3位メーカーになり、海外でも売れず経営破綻に至りました。
日産の労働組合が強大な力を持つに至ったのは、GHQ(連合軍総司令部)の命令で、日本軍に協力した懲罰でした。
各国政府が都合よく日産を利用した
日産は戦前満州や朝鮮の軍事輸送に深くかかわり、陸軍の軍用車の大半を生産していました。
GHQはこれを問題視して財閥解体したうえに、自動車の生産を禁止しました。
禁止しただけでなくGHQは日産を「戦犯企業」と定義し、戦前の逮捕者や共産党員、在日韓国人を経営に参加させるよう強要しました。
この強要は戦前軍部に協力した朝日新聞などの新聞にも行われ、日本の新聞は共産党員や左翼活動家らが支配することになりました。
日産の自動車生産は数年後に許されたがトヨタと大差がついていて、本格的に再開されたのは1950年の朝鮮戦争以降でした。
皮肉なことに米軍は朝鮮での戦争協力を日本に依頼して、日産にも軍事協力を求めてきました。
戦前は日本軍べったりだったが、戦後も米軍の軍事企業として再開を許されたのです。
朝鮮戦争は終わったが続いて高度成長時代になり、日産の自動車生産は順調に増えました。
フランス対日本になった理由
スカイラインなどを生産していたプリンス自動車を日産が吸収合併したのが、これが後に禍根となった。
プリンス側は対等合併と聞いていたのに実際は合併すると日産側の社員が威張り散らし、プリンス社員は解雇されたり苛めで辞めされられた。
日産はスカイラインという美味しいブランドだけを利用し、GTRなどの人気車を生み出しました。
このプリンス統合も労組や経営陣に激しい対立を生み、経営破綻につながっています。
1990年に日本はバブル崩壊し車の売れ行きが急減、日産が得意とした若者向けスポーツカーは全滅しました。
ここでまた日本政府とフランス政府がちょっかいを出してルノーに買収させ、事実上ルノーの子会社になりました。
ルノーは実は日産以上のダメ会社で、フランス政府は手を焼いて「日産とくっつけて国営化しよう」と考えました。
これがマクロンのルノー日産三菱国営化で、工場も本社も日本から奪い取ってやると宣言していました。
いわば日本への宣戦布告であり、日本側はゴーン逮捕という「真珠湾攻撃」で報復しました。
ここまで見てきて日産を混乱させている本当の原因は、戦前から続いている政府の過干渉だと考えられます。