1945年に日本が戦争に負けてから、連合軍に都合が悪い歴史は次々に改ざんされたり削除された。
韓国や朝鮮に都合が悪い史実も書き換えられるか削除され、彼らに都合が良い歴史に書き換えられた。
都合が悪い史実第一位は伊藤博文が「韓国」を作り、歴史上はじめて中国から独立させ、韓国という国名も与えたことでした。
それまで名乗っていた朝鮮は中国皇帝から授けられた属国名で、朝鮮は冊封を頂いていたので国家ですらなかった。
冊封とは自国の領土を丸ごと差し出す代わりに、皇帝の家臣になることで、冊封したらもう中国の地方自治体にすぎません。
冊封した王も皇帝に任命権があるので、朝鮮王や琉球王は皇帝が任命します。
朝鮮王の息子が次の王に任命されるとは限らず、本土から新しい王が派遣される可能性もあった。
日清戦争に勝った日本は朝鮮をこうした身分から解き放ち、半島の歴史上初の独立国家を作った。
だが朝鮮人は「独立」の意味が分からず、清の属国のままで居たかったと言って伊藤を目の敵にした。
事実は伊藤博文が韓国を独立させ大韓帝国を建国し、今も韓国は伊藤が名付けた「韓国」を使用している。
韓国に都合が悪い事その2は神功皇后の三韓征伐で、史実では神功皇后が新羅、百済、高句麗を支配下に置いた。
これは韓国にとって最悪に不都合なので、史実を削除し神功皇后がいなかった事にしろと喚いた。
韓国と共謀して神功皇后を消した
あきれた事に日本政府は要求通り神功皇后は架空の人物だったとし、三韓征伐もなかった事にした。
ところが最近発掘や研究が進むにつれて、神功皇后は実在し三韓征伐が事実だった事が実証されてきている。
動かぬ証拠は半島南部で15基から20基の前方後円墳が見つかっていることです。
前方後円墳は天皇や皇族の墓や、ヤマト政権に近い豪族、ヤマト政権を支持する地方有力者の墓と考えられている。
ヤマト政権と縁もゆかりもない者や、無関係な半島の有力者が前方後円墳を作ることはない。
半島で前方後円墳が建造されたのは5世紀後半から6世紀前半(西暦450年頃から550年頃)で、直接支配したのはこの100年間ほどと考えられる。
前方後円墳が発見されたのも半島南西部の「任那」「百済」があった地域だけなので、新羅や高句麗は支配下に置いていなかったと推測できる。
中国に存在する「広開土王碑(西暦414年)」は高句麗王の業績を称えた石碑だが、倭国は新羅と百済を臣従させたと書かれている。
中国(宋)の宋書倭国伝には438年、倭王が「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」と名乗ったと書かれている。
史実を政治の都合でいじくりまわし、「そいつは韓国に都合が悪いから居なかったことにしろ」と言ったのが韓国でした。
それに東京大学などの左翼が賛同し、韓国に不都合だからと言う理由で実在した人物を消しました。
その連中は半島で前方後円墳が発見される理由を「天皇は朝鮮人だった」などと言っていて、無論すべて嘘です。