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中国と韓国の主従関係を作った冊封と朝貢

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西暦607年に小野妹子が隋に派遣され、日本は皇帝と対等であり臣従しないと宣言した。
一方半島は皇帝に臣従し続けた
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画像引用:日本人の縄文思想と稲作のルーツ 聖徳太子の遣隋使派遣と国書の未熟さ愚考(日本語のルーツ)http://tadatakitada.blog.fc2.com/blog-entry-159.html

中国への服従が文化になっている悲劇

韓国の文大統領はアメリカと中国を天秤にかけて外交上の危険な火遊びをしている。

大韓民国は1948年にアメリカが建国し、アメリカが守ってきたが韓国人はそう思っていない。

韓国人の歴史観では1945年にアメリカに侵略され1948年に独立を勝ち取ったが、米軍に支配されている。



これを見て思うのは日本が韓国を清国から独立させ守ってやったのに、韓国人がそう思わなかったのと似ている。

朝鮮半島の国家は西暦700年頃から日清戦争まで大陸王朝に臣従し、その前から特に北側は大陸国家の支配下にあった。

他国の支配から本当に独立したのはたった70年前で、有史以来ほとんどの期間を中国王朝の一地方として過ごした。

半島では中国に服従して支配してもらうことが正しいことで、中国から独立したら文化を維持できない。

日本が1897年に大韓帝国を建国した時、困ったのは半島には正史が無く、中国王朝の歴史を「自国の歴史」として教えていた事でした。

独自の文字や名前もなく中国の様式をそのまま使っていたので、新たに韓国式を作る事になった。

これが悪名高い創氏改名で、李氏朝鮮には貴族を除いて苗字がなかったので、1人1人が姓名を登録する事になった。

だが良い苗字が思い浮かばないので、ほとんどの人が「金」や「李」など同じ苗字を登録した。

朝鮮では中国の文字を使用していたが、独自の文字を使用させることにし、従来からあったハングルを正式な文字とした。

朝鮮王は皇帝への配慮からハングルを禁止した

ハングルは1400年代に朝鮮独自の文字として発明されたが、使用されずに放置されてきた。

使用されなかったのは漢字以外の文字を使用する事は、皇帝への反逆であり謀反であるとの配慮からだった。

この一事を取っても朝鮮王がいかに中国皇帝を恐れ、ひれ伏していたかがうかがい知れる。

ほとんどの朝鮮人が苗字を持たなかったのも、庶民が苗字(氏)を持つのは中国と同格になり恐れ多いという考えからでした。

朝鮮という国名を決めたのも明の洪武帝で、実のところ「朝鮮」を建国したのも中国王朝だった。

西暦600年代の中国王朝は隋、唐、周と勢力が交代し、668年に唐が白村江の戦いで天智天皇軍を打ち破り初めて半島を統一した。

すると唐に助けてもらった新羅は唐を裏切って半島を乗っ取り、めでたく統一独立国家新羅を建国した。

新羅は671年に唐から独立したものの675年には再び冊封下に入ったので、わずか5年しか独立は続かなかった。

これは中国に服従しないと敵対する事になり、朝鮮だけでは強大な中国軍に対抗できず、交易もできなくなってしまう為です。

675年の新羅、918年に高麗、1392年に朝鮮が興ったがいずれも中国皇帝に服従することで侵略を免れ交易を許可してもらった。

冊封を受け入れると新羅王、高麗王、朝鮮王を皇帝が任命する事になり、王の息子を後継者に認めてもらう必要があった。

江戸時代の日本で大名の息子を将軍から認めて貰おうとするのと同じで任命権は将軍にあり、朝鮮王の任命権は中国皇帝にあった。

冊封された国の実態

中国と半島国家はずっとこんな関係であり、西暦377年新羅が秦に朝貢した記録が中国側にある。

朝貢すると皇帝の支配地と認められ、この制度が冊封に変化するのだが建国以前から皇帝の支配地だったのがうかがえる。

赤ん坊が生まれる前から親が決まっていて、成人して独立しても親は親であるように、半島国家にとって中国が親の国です。

韓国人が良く国の関係を家族や親子に例えるのはこのためで、日本の位置づけは弟か捨て子か子分らしいです。

こんな関係を1500年も続けてきたので韓国人にとって中国に従うことが安定であり、中国に逆らうことは不道徳です。

皇帝に逆らうのは人間として失格なのだ、そんなことでは王には成れないと王の息子ですら教育されてきました。

朝鮮王が皇帝から派遣された使者を受け入れるのに迎恩門という門を作り、門の下で土下座して地面に頭を打ち付けるという儀式をしていました。

王ですらこれなので家来や庶民にとって中国の役人すら天上人、まして皇帝は想像すらできない存在でした。

皇帝の使者は朝鮮王にお祝いの品などを下賜するが、朝鮮は貧しいのでお返しができず農奴を送っていました、

中国の冊封に入った琉球でも同じことをしていたが、こちらはなんと幕府や薩摩が援助物資として贈ったものを、貢物として皇帝に送っていました。

幕府は琉球に対して援助物資の横流しを辞めるよう警告しましたが、琉球王は人頭税などを取り立てては中国に送っていました。

なぜなら琉球王を任命するのは皇帝だからで、王にとって民衆の命より息子を王に任命してもらう方が重要だったのです。

こうした事からも冊封下にあった朝鮮の実情がうかがい知れる。

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