テコンドーは韓国の競技で世界では競技人口が少ないためメダルの多くを韓国人が獲得している。
そのテコンドーの東京五輪参加をめぐって日本テコンドー協会と選手側が対立している。
全日本テコンドー協会の金原昇会長は反社会組織とのつながりが指摘されるなど、問題の原因になっている。
このパターンは日本ボクシング連盟会長だった山根明がボクシング騒動を起こしたのと良く似ています。
金原昇は2008年からテコンドー協会会長だが、2012年にJOCから報酬不正が指摘されていた。
五輪種目であるためコーチ報酬の3分の2は国の補助金だが、国から受け取った半分以上を上納金として納めさせていた。
ここで登場するのがテコンドーの母国である韓国で、金原は上納させた補助金を韓国からコーチを招へいするために使ったと説明している。
このままでは罪に問われるので公益社団法人認定を返上し、テコンドー協会を一般社団法人に格下げした。
全日本テコンドー協会は公益性のない金原個人の所有物になり、反金原派を除名させたり独裁体制を強化させている。
金原会長はアマチュア大会の開催や判定にも口を出し、自分の息子が出場する大会で審判を威圧して勝たせているとも指摘されている。
デイリー新潮の記事によると金原昇は在日韓国人で、長野県松本市で父親は土木作業員をやっていたが家庭は貧しかった。(ヤクザに銃撃されても死ななかったテコンドー協会「男・金原」会長の「血と骨」人生 | デイリー新潮)
上京して喫茶店や金融業で働いたあと長野に戻り、韓国クラブを経営しマキシムグループを創業する。
長野の帝王からテコンドー界乗っ取り
ミナミの帝王という高利貸しの映画があったが、「長野の帝王」として金貸しをしながら夜の商売に手を広げていった。
少年時代は中学時代は野球部、高校時代は柔道をしていたがテコンドーをやった事は一度もなかった。
テコンドーは戦後韓国が独立後に誕生した新しい競技で、もともとは空手から分派したものでした。
その空手は元々は柔道を含む柔術から分派したもので、最初は相撲を含む総合的な格闘術だったようです。
古事記・日本書紀にある最初の相撲の記述ではパンチ・キック・投げなど何でもありで、倒れた相手にキック連打で勝敗が付いたと書かれている。
それ以前は刀を使っても良かったようで、神々が剣で戦ったという事が記述されている。
最初はルール無用で何でもありだったのが、素手で戦うようになり、次に投げ技とパンチキックに分かれた。
空手のキックだけに特化したのがテコンドーで、韓国以外で普及したのは1988年ソウルオリンピック以降でした。
開催国は独自種目を追加できるので韓国はテコンドーを追加し、以来五輪種目として継続されている。
テコンドー未経験の闇金屋が協会会長
日本でテコンドーが普及したのは1990年代で早い人でも80年代という非常に新しいスポーツでした。
新しい競技ではまだ選手や指導者、組織運営者が育っていないので、金原昇のような素人が入り込む余地がありました。
このパターンはバスケットボールでも見られ、サッカーの川渕元チェアマンが日本バスケットボール協会エグゼクティブアドバイザーに収まっている。
バスケット界にはまだバスケ出身の人物が育っていないので、資金集めや各界に影響力を持つ人が外部から入ってくるのです。
日本でテコンドーをする人はイリオモテヤマネコより希少なので指導者や組織もなく、闇金業者に乗っ取られてしまいました。
今もボクシングやプロレスや格闘技会場では、他では見かけない怪しげな会社がスポンサーになっている場合が多い。
金原昇もテコンドー大会のスポンサーになったり大会運営に参加しながら協会を支配していったのでしょう。
集金にこまっている組織を金集めの能力で乗っ取る手法は、創価学会の池田大作にも通じている。
新潮によると金原昇は父が在日韓国人なのだが本人の国籍は良く分からず、五輪選手ではないので会長が日本国籍である必要はない。
競技未経験者で国籍不明で非合法組織の関係者が、五輪代表組織を乗っ取っているという現実はおぞましい。