天岩戸事件とは日本書紀と古事記に記された、アマテラスが洞窟に隠れて世界が闇に包まれたという出来事です。
こうした世界の神話の多くには元になった出来事があり、それを口頭の伝承で伝えた寓話になっています。
この事件が初めて文字で記録されたのは古事記が書かれた712年より前で、古事記自体が焼失した文書を書き直したものでした。
元になった文書もせいぜい数十年前の600年代後半に書いたと思われ、元になった出来事の数百年後です。
「アマテラスが岩戸に隠れたのは168年12月17日だった?」では天岩戸とは日食だと仮定してみました。
すると過去3000年の間に合致する日食があったのは、168年12月17日の一度しかありませんでした。
場所も遺跡や記紀の記録から福岡や佐賀県など九州しかなく、かなり狭い範囲と期間に絞りこめた。
だが天岩戸が日食と断定するには無理があり、この時の日食は7分間で記紀の記録と食い違っています。
記紀では世界は真っ暗になり様々な災いが起きたので、八百万の神々が一堂に集まって協議したとあります。
協議した結果、なにか面白い事をやってアマテラスの興味を引いて引っ張り出そうと決まり宴会を始めた。
アマテラスはまんまと引っ掛かり、何だろうと外を覗いたところ岩戸の外へ引きずり出されました。
泥をかき混ぜて最初の島を作った
7分間の出来事にしては大げさすぎるので、日食ではなく火山の噴火だったという説も有力です。
アマテラスが住んでいたのは記紀や遺跡などから九州で、西暦0年よりは後で300年より前だったと考えられます。
とすると噴火した火山は阿蘇山で、大噴火によって少なくとも数日間暗闇に閉ざされたと考える事ができます。
実際阿蘇山は何度も大噴火を起こしていて、大噴火なら火山灰の堆積によって年代や場所が分かるかも知れません。
阿蘇山が現在の形になったのは3万年前の大噴火で、7000年前にも巨大噴火があったがさすがに年代が古すぎる。
はっきりわかっている大噴火として553(欽明天皇14)年があるが、これでは逆に遅すぎます。
ところで記紀の「国生み」では イザナギとイザナミが泥んこの世界をかき混ぜて島を作り、淤能碁呂島(おのごろじま)と名付けた。
次に2人は大八島( 淡路島、四国、隠岐島、九州、壱岐島、対馬、佐渡島、本州)を作りました。
問題は泥をかき混ぜて島を作る部分で、吉野ケ里遺跡がある筑後平野は2000年前は海であり、吉野ケ里は海岸線に位置していました。
吉野ケ里が面している有明海には筑後川の河口があり、筑後川は阿蘇山方面から火山灰や土砂をどんどん放出して海を埋めていきました。
ちょうど吉野ケ里が栄えていた頃に有明海は埋まっていき、まさに泥をかき混ぜて島ができるように埋め立てられていた。
イザナギとイザナミが泥をかき混ぜて島を作ったのはおそらくこれで、後に九州や本州を作ったのは征服や侵略を指しているかも知れません。
実際ヤマト王権に繋がった勢力は、九州から始まって次々に西日本を征服し、日本を統一しています。
天岩戸事件がこの日だという阿蘇山の大噴火は特定できないが、やはり西暦0年から200年頃の可能性が高い。
逆に地形が変わるほどの大噴火だったら初期のヤマト国家は滅んでいた筈で、空は暗くなったが国が亡ぶほどではなかったのを暗示しています。