正月のニュースに初詣渋滞というのがあり、最近初詣で長い行列が常態化していると書かれていました。
確かにどの有名神社に行っても短い時で数十人、長い時は数百人もの行列ができています。
その記事によると渋滞の原因は「二礼二拍手一礼」をする人が増えたため、昔より一人当たりの時間が長くなったらしい。
多くの人が二礼二拍手一礼をするようになったのは平成以降で、平成の神社ブームやアニメの影響もあるという。
平成の即位の礼や関連行事はテレビ中継されたり人々の注目を浴び、公式な参拝法として広まりました。
アニメや映画の中でも二礼二拍手一礼する人が多いので、他の方法は間違っていると主張する人が増えた。
だが実際には日本人が二礼二拍手一礼するようになったのは「平成以降」であり、伝統でもなんでもありません。
二礼二拍手一礼を正式な参拝方法と決めたのは明治期の大日本帝国で、悪名高い国家神道を全国に普及させようとしました。
幕末から明治にかけての日本はキリスト教を模範とすする宗教改革に取り組んだが、その動機は西洋はキリスト教だから発展したという間違った認識によるものでした。
キリスト教は一神教だから日本も一神教でなくてはならないと言い、仏教を廃止して神道に統一しようとすらしました。(廃仏毀釈)
キリスト教にならって神道もアマテラスだけの一神教にしようとし、アマテラスだけを唯一神にしようとしました。
この時に参拝方法も二礼二拍手一礼だけを正しいと決め、他の参拝方法は間違っていると断定しました。
神道の参拝方法は各人自由が基本
明治3年1月3日に「神仏分離令」が発布され、暴徒が寺を襲って略奪や破壊行為に及んだりしました。
暴動は明治4年に終息したが、その後も寺を解体したり仏像や経典を燃やすなどの行為が全国で行われた。
神仏分離令は明治天皇が発布した事になっており、閣議決定や国会決議などと違って取り消すことはできない。
ばか過ぎてどうにもならないが、二礼二拍手一礼は亡霊のように生き残り、平成日本で大復活を遂げました。
では江戸時代以前の参拝はどうしていたかというと、それぞれの地方や神社で方法が違い、これが正しいというものは無かった。
古くは魏志倭人伝の記述に、倭人は土下座の代わりに拍手を打つと書かれていて、礼をする代わりだったようです。
神道はもともと一つの宗教ではなく、それぞれの村や集落の神を祭るもので、当然神様によってルールも違いました。
拍手の回数や礼の回数も神社によって違い、人々はかなり適当にやっていました。
一般的なのはパンパンと2回拍手を打つスタイルで、昭和期までほとんどの人がそうしていたと思います。
ところが平成になって人々が急に二礼二拍手一礼をやりだしたので、初詣は渋滞してしまいました。