1万2000年前に高度な文明が存在したが滅んだ、UFOや宇宙人ブームの頃こんな古代文明論が流行ったがこれに近い事実が明らかになった。
トルコ南東部のギョベクリ・テペ遺跡から1万2000年以上前の文明の痕跡が発見され、数十トンの巨石構造物など多数が見つかっている。
外部から運ばれた重さ20トンもの石柱200本以上が円状に配置され、ローマの遺跡のような景観となっています。
ギョベクリ・テペ遺跡は全体の5%しか発掘されていないので、今後さらに大規模な遺跡が見つかる可能性が高い。
最も古い部分は1万5000年前に遡ると見られているが、これは縄文時代の始まりよりも古い。
縄文時代は縄文土器を製造できるようになった1万4000年前に始まったが、ギョベクリ・テペの住人は土器を焼く技術すら持っていなかった。
完全な石器時代であり、今までのイメージでは少人数で採集生活をおくり定住していない筈でした。
石器時代には農耕や土器や畜産もなかったので、動物を追いかけて狩猟したり、食べられる植物を追って放浪していました。
ギョベクリ・テペ遺跡が放棄されたのは1万年前頃なので、およそ5000年の間旧石器人たちはここで定住していた。
見つかっている円状の石柱遺跡は神殿と考えられているが、実際にどう使われたか分かっていません。
遺跡は地中に埋まっていたので風化せず、ライオンやバッファローのような動物を浮き彫りした姿がはっきり残されている。
ギョベクリ・テペ遺跡は現在は乾燥した土地にあるが、1万年以上前は豊かな森に囲まれていたと考えられる。
分業や大量生産は最初からあった
動物の浮彫は多種多様であり、動物崇拝や自然信仰など神道や縄文人に近い自然崇拝だったと考えられる。
巨大石柱の形や大きさはある程度規格化されていて、分業が存在しそれぞれの工程ごとに熟練工が存在したようです。
浮き彫りの精巧さからそれが伺え、素人ではなく手慣れた者が手際よく動物を彫っていった。
浮き彫りを間違えて損傷すれば石柱に失敗の跡が残るが、すべてがきちんとした動物の形に彫られていた。
1万2000年も前に分業や大量生産、職人による熟練作業などが行われていたのは、世界に大きな衝撃を与えている。
大量生産を始めたのはT型フォードかせいぜい産業革命からだが、優に1万2000年も遡る。
遺構がほとんど風化せずに残っている事から、製造して間もなく地中に埋められたと推測されている。
分業が行われ大規模神殿が存在した事から、既に社会や階級や身分制度も存在した事になる。
20トンの石柱をどうやって運んだか不明だが、どの方法でも数十人から100人以上の力が必要になる。
すると各分業の合計で1000人程の労働力が必要な筈で、集団全体では数千人から1万人以上の社会でないと難しいでしょう。
遺跡の周辺からは食べ物の廃棄後も見つかっていて、シカ、ガゼル、ブタ、ガチョウなど動物の骨が多い。
家畜は存在せず農業もないのに、どうやって大集団の食料を得ていたのかはまったくの謎です。
実は集団や社会ではなく、広範囲で採集生活していた人々が、一時的に集まるための場所だったという説もある。
だがそれだと多くの労働者を組織的に働かせるのが難しいでしょう。
文明の起源は権力者と労働?
従来最古の文明はメソポタミアで、7000年ほど前に農耕が始まり6000年前に最初の都市、5000年前に文字が発明された。
5000年前に隣りのエジプトでも文明が起こり、それから西へ東へと文明が広がったとされていた。
文明の起源は農耕で、農耕によって人口が増えたので都市ができ文明が起こり、文字や道具が発明されたとされる。
だがギョベクリ・テペでは何もない無の状態から突然巨石神殿ができ、最初から分業や大量生産や職人による熟練作業が存在した。
石器時代の人口密度は1平方キロあたり1人以下で、世界的に多かった縄文時代でも数人程度でした。
農耕や畜産がない自然な状態では1キロ四方に人間1人分程度の食料しかないからで、よほど大量に野生動物がいないと大勢が狭い範囲で暮らせません。
ギョベクリ・テペでは最初に神殿を作り、神殿を作るために多くの人が集まり、多くの食料を得るために農耕が始まった。
最初に自然発生的に農耕が始まったのではなく、むしろ権力や労働が先にあって、必要性から農耕が始まったと見られる。
これは弥生・縄文時代やエジプト文明の始まりもそうだった可能性があり、最初に権力者が誕生して集団を大きくする必要から様々な変化が起きたかも知れない。