
中ロ北陣営に入りたい文在演
韓国とアメリカの米韓同盟が揺らいでおり、韓国は中国やロシアや北朝鮮の赤色陣営”レッドチーム”入りを検討している。
すくなくとも共産主義者の文在演は今すぐ米韓同盟を破棄して中ロ陣営入りしたいと考え、実際に行動に移している。
在韓米軍は盧泰愚時代に韓国側の要求で撤退が決まったが、その後北朝鮮危機で先送りになっている。
トランプ政権は在韓米軍駐留費負担を現在の5倍の約50億ドル(約5500億円)に増やすよう要求しているのは金だけの問題ではない。
トランプは在日米軍にも負担増を要求しているが、こちらは金だけの話であり撤退する予定も懸念も無い。
在韓米軍駐留費は撤退や縮小がらみの話で、「韓国が米軍駐留を望むならそれだけの負担をしろ」とアメリカは迫っている。
韓国は2019年8月23日に日韓軍事情報協定GSOMIA破棄を宣言し、日本が輸出管理優遇を復活すれば「GSOMIAを維持してやる」と言っていました。
これに対する安倍政権の態度は冷たいもので、どうぞ破棄してくれて結構ですというものだった。
GSOMIAはもともとアメリカの要請で締結したもので、アメリカを中心とした中ロ北へのミサイル防衛の一環でした。
中ロ北がアメリカにICBMなどを発射した時、迅速に対処し迎撃や反撃を行うための情報伝達がGSOMIAでした。
韓国軍から日本に伝達される情報はあるにしても、日本は早期警戒衛星の開発を決め「脱韓国」の準備をしている。
早期警戒衛星は弾道ミサイルなどの発射を衛星から監視するもので、本格運用しているのは現在米軍だけです。
「ペコペコ」外交がここまで韓国を増長させた
日本は破棄しても良いという態度を取ったが激怒したのはアメリカ政府で、韓国に「米陣営か中ロ陣営か」の選択を迫ったとされる。
GSOMIAを破棄したら韓国は中ロ北のレッドチーム、とどまるならアメリカ側のさしずめブルーチームという事になる。
因みにレッド、ブルーは軍事演習などの時の色分けで、アメリカから見て敵はレッド、自軍側がブルーになります。
GSOMIAは11月22日に自動失効する事になっていたが、この日韓国は失効の一時停止という意味不明な宣言をした。
本当なら破棄か継続しかないのに、韓国は「いつでも破棄できる」として破棄の一時停止と言い出した。
こんなものは条文にないので日本側は「韓国が継続しなかった」として失効を宣言すれば良かったのにこれを許した。
こうして韓国側の好きなようにルール変更を許したから今慰安婦や徴用工で揉めているのに、また安倍首相は同じ失敗をおかそうとしています。
一度ルール変更に成功した韓国は次も必ずルール変更を勝手に宣言し、成功すればまたルールを変更します。
韓国側は20年3月末までに日本が貿易制裁(と主張している)を解除しないとGSOMIAを破棄すると言っています。
3月末になったらまた勝手なルール変更を主張し、日本を騙そうとするのは分かり切っています。
東京五輪まで間もないので、何かしら五輪関連で日本の名誉を傷つける事をやり、「GSOMIAを継続して欲しければ日本はこれをやれ」と命令するでしょう。
安倍首相はペコペコ謝罪して応じてしまう可能性があり、相手の無法な要求を呑んだら慰安婦合意の繰り返しになります。
100万回言っても足りない事は、相手の無理な要求を受け入れたら、その後もずっと無理な要求を受け入れ続けなくては関係を維持できなくなります。
韓国は日韓併合前と同じ状況
韓国はアメリカ陣営からの離脱を望み日本を征服したがっているが、この状況は幕末から日韓併合までの過程にそっくりです。
この時も朝鮮(李氏朝鮮)は日本を侮辱し中国を主人と仰ぎ、モンゴルを敬い米英を敵視していました。
明治維新後に李氏朝鮮で内紛が発生し、愚かなことに清国に占領させて敵対勢力を追い払ってもらおうとした。
清国占領に反対する勢力は対抗措置として日本軍の出兵を要請し、朝鮮政府の要請を受けて日清が出兵し1895年(明治28年)に日清戦争が勃発した。
結果は日本が勝ったのだがこれに不満を持った朝鮮王の嫁がロシア軍に朝鮮を占領してもらい日本軍を追い払うよう要請した。
こうしてロシア軍は朝鮮に出兵し、1904年(明治37年)に日ロ戦争が勃発して日本が勝ちました。
朝鮮の権力者が他国の軍隊に自国を占領してもらおうとするのは愚かに思えるが、これには1000年の伝統があった。
話は西暦360年頃(推定)に遡り、日本列島を統一したヤマト王朝は、神功皇后の時代に半島に出兵し支配下に置いた。
この状況は250年以上続いたが、663年白村江の戦いで羅漢同盟が日本軍を倒し、日本は半島の領土すべてを失った。
勢いに乗った唐は668年までに高句麗を倒して半島を統一し、新羅は唐の一地方になった。
唐による統一直後から新羅は唐を裏切っては領土を切り取り、一時的な謝罪とルール変更を繰り返して最終的に半島のすべてを新羅とした。
唐は日本やチベットなどとの戦いで国力が衰え、678年に新羅討伐を断念して新羅による半島統一が成功する。
正々堂々戦いを挑んで敵を打ち破るという考えは、朝鮮半島にはありません。