初詣と弥生時代
ある説によると世界最大の宗教行事は初詣だそうで、メッカの巡礼が200万人に対して初詣は9000万人もいます。
正月三が日の明治神宮だけで320万人で、浅草寺は年間3000万人が参拝するが、彼らは参拝者でしょうか。
初詣に参拝する9割は参拝者でしょうが、平日浅草寺を訪れるのは外国人観光客とかが多かった気がします。
メッカや嘆きの壁でひざまずくのは信者に違いないが、神社を訪問する外国人は違うと思います。
この神社に参拝や初詣の起源は古いようで意外に新しく、神社が始まったのはほぼ聖徳太子以降でした。
聖徳太子は西暦500年代後半の人物で推古天皇が任命した皇太子で、現在の総理大臣に相当する実務を執り行っていました。
聖徳太子は法隆寺の建設など仏教の普及に努めた『仏教派』だったが、これが神道に影響を与えた。
当時仏教が最新の宗教で、学問や科学やお金や芸術など進んだものは全て仏教とともに伝来した。
神道は村ごとにばらばらな神様が居る状態で体系だっておらず、仏教に対して劣勢になっていました。
その後700年代前半に古事記や日本書紀が編纂され、神道も仏教のように体系化され、鳥居や社殿なども整備されました。
つまり神道が現在のようになったのは仏教伝来以降で、聖徳太子以前はかなり違っていました。
現存する最古級の神社は奈良県の大神神社や玉置神社だが、いずれも山そのものを信仰し神社は付け足しにすぎません。
神社の起源は弥生時代の自然信仰と考えられ、山や大岩や川など自然物を崇拝していたと考えられます。
自然神の一つとして太陽神も存在し、聖徳太子以降に太陽神を頂点とする神々の世界を創造した。
神社の変質と初詣の始まり
仏教の時代は西暦500年頃から1800年代まで続いたが、キリスト教近代文明が押し寄せて通用しなくなった。
明治政府はキリスト教に対抗する概念として神道を重視し、国家神道を発明して対抗しようとした。
この国家神道が「二礼二拍手一礼」などの参拝作法を正しいものとして定義したが、実はなんの根拠もありません。
江戸時代以前の神道では神社ごとに参拝方法は違っていて、多くの人は適当に「パンパン」と手を打ってお辞儀していました。
手を叩いで鈴を鳴らすのは神様を呼ぶためで、願いを聞いてもらうためにお金を投げ入れる。
聖徳太子の文書に、「祟りや祓いといって旅人や住民から取り立てている」とかなり怒っているのがある。
昔は強制的に取り立てていたのを自主的に投げ入れる方法に変わったようで、参拝方法も様変わりした。
古い神社の創設では、最初神域である山に登っていたが、上らず参拝できるよう神社を作ったなどと説明されています。
神社の目的は利便性で、今までは神様のところに出かけていたが、神様の方から近所に来るようになった。
研究者によると江戸時代に初詣は無く、その神社の祭りの日に参拝するものだったようです。
初詣が始まったのは明治中期に鉄道が広まってからで、鉄道会社の宣伝によって鉄道参拝ブームが起きたようです。
昔は鉄道で通勤する人などいなかったので、イベントを仕掛けて人々が鉄道を利用するようキャンペーンする必要があった。
大正、昭和にかけて初詣が正統と考えられるようになり、神社に莫大な利益をもたらすようになった。
超有名な大神社の宮司が夜遊びでクビになり、新宮司になった姉を逆恨みして襲った事件もありました。
大神社の宮司ともなると大企業の重役並みの収入があり、しかも納税には甘いとされている